『団地妻 昼下りの情事』['71]
『たそがれの情事』['72]
監督 西村昭五郎

 先ごろ観た恋のいばらでガラクタを拾い集めてくる老女を演じていた白川和子の五十二年前の主演作で、名にし負う日活ロマンポルノの第1作『団地妻 昼下りの情事』を、僕は未見のまま来ていたのだが、思わぬ配信動画連鎖で初めて観ることができた。

 そう言えば、むかしピンクテープという音声だけのものが確かにあったなぁだとか、懐かしい形状の新宿駅東口の光景に目を奪われたり、昔の映画というのは、兎に角そこに映っているものを観るだけでも種々の感慨を呼び起こしてくれる。

 あれだけ流行っていたネグリジェを画面で観ることが殆どなくなったのは、いつからだったろうとか、電動こけしというのは、本当にコケシの姿形をしていたんだだとか、前日に観たさよなら歌舞伎町['14]でラブホテルの店長を務める徹が回転ベッドなんか、もうねぇよと言っていた'70年代の大人気設備が本作に登場してこなかったのは、もはや目を惹く物珍しさがなかったせいで、代わりにマジックミラールームが出てきていたのだろうかとか、物語自体は定番中の定番のような安っぽさなのに、全編一時間を飽かせずに魅せてくれた。

 当時、二十代半ばの白川和子の喋り方や声質が思いのほか魅力的で、ベッドシーン以上に心惹かれた。それにしても、残り五分というところで新たなベッドシーンが現れたことに感心していたら、残り二分というところで今度は逃避行の走行車中での全裸での口淫場面が現れて、恐れ入った。このラスト五分の驚きは、その後の作でも他には真似のできていない偉業なのではなかろうか。

 律子(白川和子)が夫(浜口竜哉)共々の級友と思しき桐村(関戸純方)に酔わされての連れ込みに乗っかることさえなければ、手を出さなかったはずの主婦売春の果ての破滅だったわけだが、図らずも冥土への道行きとなった逃避行が双方にとってのベターハーフを得てのものになっていたところにちょっと感心した。


 続けて観た翌年の次作『たそがれの情事』は、性生活に不満を抱えていると思しき秋津令子(白川和子)がうなされる淫夢をプロローグにして始まった。そう言えば、最早とんと見かけなくなった“レイプ願望”なる言葉を当時はよく見かけていたことを思い出した。力づくで犯される劇性に昂ぶりを覚える心性を秘めた女性が少なからずいるといった言説が流通していた時代だったように思う。

 人気カメラマンの夫(仲浩)を持ち、女中を雇った屋敷で暮らす秋津令子がまさしくそうであったように、得てして何不自由ない生活が保障されている夫人ほどそういった傾向があるかのようにされていたことには、幾度となく映画化されているD・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の与えている影響が窺える気がしたが、メラーズは決してコニーに暴力的に迫ったりはしなかったように思う。

 画面に映し出されていた“銀座の歩行者天国”やレコードをかけて流されていた“ムード音楽”ともども、そういう“レイプ願望”を映し出している点が、時代を表す風俗映画として目を惹き、そのうえで温厚な夫が下半身不随の不能者となっても、贖罪自罰感情も含めて付き従う令子の姿が印象深かった。そういう意味で、脚本を書いた西田一夫による物語は前作よりも興味深く、西村昭五郎のベッドシーン演出も前作より濃厚で丁寧なものになっていた気がする。ただロマンポルノ的には進化していたのかもしれないが、当世向きではないように思った。

 それはともかく、'72年の本作にも前作同様に回転ベッドは登場しなかったから、もしかすると製作費との関係で賃借料を節約しただけのことだったのかもしれないなどとも思った。
by ヤマ

'23. 1.20,21. GYAO! 配信動画



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