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『西部開拓史』(How the West Was Won)['62] | |||||
監督 ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォード、ジョージ・マーシャル
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これが『西部開拓史』か、と思いながら観た。トップ・クレジットがキャロル・ベイカーで、リー・J・コッブの次にヘンリー・フォンダの名が現れて、グレゴリー・ペックが六番目、ジェームズ・スチュワートが十番目、ジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマークに至っては、イーライ・ウォラックの後の十二番目、十三番目という三時間近い長尺の西部劇がいかなるものか楽しみにしていたら、なかなかのスケール感が、画面だけに留まらない意欲作だったように思う。監督トップは、ジョン・フォードだが、南北戦争の章だけ。次にくるジョージ・マーシャルも鉄道の章だけで、最後が残りの、川・平原・無法者を撮ったヘンリー・ハサウェイだった。 僕が四歳時分となる六十一年前のこの映画のなかで、ナレーションを担っていたスペンサー・トレイシーが、五世代遡る百二十五年前として語り始めたので、1830年代の終わり頃からの話ということになる。 筏で激流を下って九死に一生を得るなかで、西部行きに反対だった妻を失ったゼブロン(カール・マルデン)の娘イーヴ・プレスコット(キャロル・ベイカー)が、ビーバー猟師のライナス・ローリングス(ジェームズ・スチュワート)と結婚し、農業開拓民として生きる決意を固める話から始まった。注目すべきは、西部開拓が始まる前の西部は、法無き共存の時代で、ビーバー猟師のライナスは先住民とも親しく助け合って暮らしていて、専ら悪党として現れるのは、大佐なんぞを名乗るホーキンス(ウォルター・ブレナン)といった白人たちだったことだ。僕が十代の時分から好きな♪グリーン・スリーヴス♪が「草原の家」の名で歌われ、その後も繰り返し出てきていた。 ナレーションで1848年に始まったと告げられたゴールドラッシュにより、ますます西方に拡大していく西部開拓のなかでイーヴの妹リリス(デビー・レイノルズ)と賭博師クリーブ・バン・ベイレン(グレゴリー・ペック)の出会いと結婚が描かれ、西部劇に付き物の酒場と博打と歌姫の世界が現れて、西部に向かう開拓移民へのシャイアン族による襲撃と戦闘が見せ場になっていた。そして、「要るのはカネではなくて男さ」などと言うアギー・クレッグ(セルマ・リッター)の台詞にも窺えるように、男と女の関係もなかなかワイルドな西部開拓時代だったように思う。インターミッションの直前、リリスとクリーブの再会を呼び寄せることになるステージでリリスが歌っていた♪草原の家♪が、なかなか好かった。 南北戦争で1862年に戦死していたライナスには、いつの間にか息子二人がいて、兄のセブ・ローリングス(ジョージ・ペパード)は、リンカーンの主張に乗って兵士となって出征しつつも戦場の現実を知るなかで、父も亡くし、農場を弟に譲って騎兵隊入りして西へ向かい、その後、大陸横断鉄道の敷設に邁進する鉄道会社の警備隊長になっていたが、戦争体験を経て平和主義者に転じていた。亡き父ライナスの旧友猟師ジェスロ・スチュアート(ヘンリー・フォンダ)の助力を得て先住民との抗争を平和裏に解決しようとしていたが、あっさり反故にされていた。ここでも、資本家競争のなかで先住民との約束を平然と破る鉄道会社の現場指揮者キング(リチャード・ウィドマーク)が非道な白人として現れつつ、猟地を荒らされて怒る先住民たちを考慮する余地がないのは、時代の趨勢と要請によるものだという趣旨の抗弁をセブに対して行っていたことが目に留まった。戦闘で親を亡くしたと思しき子供の泣いている姿を指して「あれに耐えられるか」とのセブの指摘に「あれは泣き声じゃない、新時代の叫び声だ」と返していた。 鉄道会社を去ったセブはその後、保安官になっていた。そして、カリフォルニアで実業家として成功しながらもクリーブの死後、破産してしまったリリスが、残った唯一の財産である牧場を甥のセブに譲って、二人の子持ちになっているセブの元に身を寄せることになる。だが、その前に、見過ごせない仇敵で自身が撃たれたこともある無法者チャーリー・ギャント(イーライ・ウォラック)と出くわし、保安官仲間のルー・ラムゼー(リー・J・コッブ)の制止にもかかわらず、その協力を得て決着をつける羽目になっていた。走る列車の上での銃撃戦は、なかなかの迫力だったように思う。平和主義者に転じていたはずのセブも、ギャントから牧場を襲いに行くと言われれば、未然に手を打っておくしかないと思ったのだろうが、その言葉を引き出したのは、セブ自身だったような気がする。年老いたリリスがセブの妻に言う「男の意地ほど始末に負えないものはないわ、どの男もみんな同じよ」との台詞が印象深い。 原題の「いかにして西部を勝ち取ったか」については、その勝ち取った相手を「大自然と先住民」としていて、最後のナレーションでは「夢と鉄建と拳銃」によってと明言していたように思う。そのうえで、是非を越えて先人たちが切り開いてきたフロンティア精神と艱難辛苦を乗り越えてきたタフな生きざまに払っている敬意のよく伝わってくる作品だったように思う。NHK大河ドラマが、昭和の時代に描いてきた戦国武将ものと通底するような趣向を感じながらも、著名な武将たちを主人公に据えるのではなく、名もなき庶民が当時、生きた姿を描いているところに好感を覚えた。 映像特典に入っていたオリジナル劇場予告編では、三面スクリーンに映し出すシネラマ方式による境目の縦線が二本入り、色調もずれていたものが、本編では線もなく美しく鮮やかに修正されており、とりわけDISC2の「シネラマ劇場の湾曲したスクリーンを再現したスペシャル・スマイルボックス方式」というのが、なかなか好かった。劇場で観賞すれば、さぞかし、と思った。 すると、本作が大好きで西部劇オールタイム・ベストの1本に加えたいくらいだという方が、デビー・レイノルズの女性映画の側面もあるというコメントを寄せてくれたが、同感だ。彼女だけが最初から最後まで登場するし、歌って踊って誘って、と大活躍だ。インターミッションの直前に歌っていた♪草原の家♪は、最後に歌われる歌唱以上に、とりわけ気に入ったし、クレジットこそ九番目だが、トップのキャロル・ベイカー以上の存在感だったように思う。 | |||||
by ヤマ '23. 7.22. BD観賞 | |||||
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