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『バード』(Bird)['88] | |||||
監督 クリント・イーストウッド | |||||
二十九年前にビデオ観賞したときは、1954年に自殺未遂で精神病院に担ぎ込まれ、翌年、三十四歳で亡くなった際に推定六十五歳と警察が報告するほどに、心身ともボロボロになっていたサックス奏者チャーリー・“バード”・パーカー(フォレスト・ウィテカー)が繰り返し劇中で見せていたように、自覚もないままに十五歳で麻薬中毒者になっていたことへの悔恨と、天才ジャズメンの過酷な生涯に対して、感慨深いものを得たような覚えがあるのだが、再見してみると、思いのほか響いてくるものが乏しかった。 バード自身にしてもそうなのだが、それ以上に彼にまつわる諸人物たち、妻チャン(ダイアン・ヴェノーラ)のみならず、白人トランぺッターながら深い親交のあったレッド・ロドニー(マイケル・ゼルニカー)、バードに先んじて地歩を得ていたディジー・ガレスピー(サミュエル・E・ライト)、バードが最期のときをその居宅で迎えていた庇護者のニカ男爵夫人(ダイアン・サリンジャー)など、皆人の人物造形にかなり物足りないものがあるように感じた。製作当時、存命の人物だったばかりか、本作の製作自体に協力者として名を連ねていたから、陰影を施しにくかったのかもしれない。もっと激しく生々しい葛藤がバードとの間にあったような気がしてならなかった。 それでも、前回観たときに感慨を得たのは、やはり映画としての雰囲気づくりの上手さだったのだろう。とりわけ演奏場面の見せ方が巧みで、白人のロドニーを人種差別の激しい南部深奥の黒人街を巡るツアーに連れて行き「アルビノ・レッド」などと胡麻化していた演奏旅行での ♪Now's the Time♪ や、大都会ニューヨークに戻って来てからの ♪Laura♪ などが、特に印象深かった。エンドロールを眺めていると、チャーリー・パーカー自身のパフォーマンスをけっこう使っていたようで、そのことにも感心した。 | |||||
by ヤマ '23. 4.17. DVD観賞 | |||||
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