『地下室のメロディー』(Mélodie En Sous-sol)['63]
監督 アンリ・ベルヌイユ

 未見作品かと思っていたら、遠い昔にTV視聴していたようだ。最初にMGMのロゴが映し出されて吃驚したが、この曲かとタイトルバックで流れた音楽に頬が緩んだ。もう至る所に不自然な突っ込み処が満載で、笑ってしまうのだが、何ともかっこいい。手元にあるリバイバル時['77]のチラシに、本作がジャン・ギャバンとアラン・ドロンの初コンビ作だと書いてあった。

 二人もさることながら、出番は最初のほうだけなのだが、五年の刑を終えて出所したシャルル(ジャン・ギャバン)を迎える妻ジャネットを演じていたビビアンヌ・ロマンスが目を惹いた。十代の時からの古女房という設定だったが、久しぶりに戻った夫に対して、少しぎごちなかったものが首筋へのキスで忽ちほぐれた風情に魅せられた。夫が留守の間、残された1000万フランを実に堅実に100万しか使わずに待ち、堅気の事業で再出発しようと持ち掛けていたが、一攫千金を夢みる夫を止められないでいた。

 そして、土壇場でルイ(モーリス・ビロー)が濡れ手で粟の大金を手にすることに怖気づいてシャルルに申し出る言い分が、妙に作り手の申し開きめいていて可笑しかった。むかしは何だか野暮に思えたが、ネット社会になって観客の余りにものリテラシーの低さというものに触れる機会を得てみると、けっこう重要なことだったのかもしれないと思ったりした。近ごろの作品は、かような“野暮ったい良識”などまるで頓着しなくなっているような気がする。観客を選ぶような造りの作品には必要ないけれども、幅広い層に向けた娯楽作を提供する際には必要というか、添えてあるほうがスマートだと感じられるくらいに勘違い客が多いような気がする。

 最後のプールでの、警察の対応をすっかり読み違えて窮地を迎えているシャルルとフランソワ(アラン・ドロン)のスリリングな場面の緊迫感は流石だ。なんでこんなところに警察やカジノの連中が総出でいるんだと狼狽しつつ、おくびにも出せないシャルルと、こんなところになんで呼び出したんだと憤慨しつつ、シャルルの次なる指示を仰ぎようもなく窮するフランソワの緊張が生んだ、とんでもなく緩み、締まりのないイメージを鮮やかに現出させたラストシーンに改めて唸らされた。

 物理的には到底起こりそうにもない、沈んだ札束が次々と徐に浮遊してくる珍妙なシーンは、どのようにして撮影したのだろう。観る側としては笑うしかないのだが、噴き出す水によってプールのなかで揺らぎが生じて起こったことだとしていることに感心した。あんなことで起きる現象だとはまるで思えないけれども、映画的には、これに代わるものはないと思える素晴らしいショットだという気がする。水泡に帰すという諺が日本にはあることをフランス人に教えたくなる泡の如き紙幣が実に鮮やかだった。

 チラシには以来、この二人は「シシリアン」そして「暗黒街のふたり」でもコンビを組み好評を得た。と記してあった。TV放映を含めると覚束ないが、確か両作とも未見のはずなので、観てみたい気がしてきた。
by ヤマ

'23.11.21. BSプレミアム録画



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