『チャイナタウン』(Chinatown)['74]
『黄昏のチャイナタウン』(The Two Jakes)['90]
監督 ロマン・ポランスキー
監督 ジャック・ニコルソン

 観賞リストに記録が残っていないけれども、四、五十年前に観たような観ていないような覚束なさに、ちょうど未見の『黄昏のチャイナタウン』と併せての放映があったので、録画したものだ。TV放映で観たのか、旧作上映館で観たのか、定かではないけれども、こうして観てみると、やはり見覚えがあった。

 オープニングの盗撮証拠写真の提示からしてそうだったように、何ともいかがわしい世界で、チャイナタウンさながらに、いかんともしがたいということから来たタイトルなのだろう。

 ジャック・ニコルソンの演じた私立探偵ジェイク・ギテスと、チャイナタウンで同僚刑事だったらしきルー・エスコバルとの関係というか、距離感がわりとよく、ジャックがイヴリン(フェイ・ダナウェイ)に対して臨む距離感とよく見合っているような気がして、なかなかスリリングに観られるようになっていた気がする。

 むろん大ボスのノア・クロス(ジョン・ヒューストン)親父のタチの悪さは自明だが、水道事業に対しては真っ当な臨み方をしつつも、袂を分かった元共同事業者ノア・クロスの娘イヴリンを妻にして、彼女が十五歳の時に産んだ十五歳の娘を匿っていたのか囲っていたのか判然としないホリス・モーレイ水道局長というのも、何とも怪しい人物だったように思う。

 手の付けようのない“チャイナタウン”は、チャイナタウンだけに存在しているのではないということなのだろうが、何とも趣味の悪い物語だと改めて思った。イヴリンの最期がどうということ以上に、彼女の発した銃弾が報われていないことのほうが痛烈だったように思う。

 それはそれとして、強引に進められる公共事業に反対して公聴会場になだれ込む反対派農民というありがちな図とは正反対の、無理なダム建設事業の推進に異議を唱える水道局長に推進派の農民が羊を駆り立て抗議に押し寄せる場面というのは、あまり観たことがないような気がして、珍しかった。

 映友から、実の娘への性的虐待について、アメリカは父娘が多いとむかし読んだことがあるというような話を聞いて、そう言えば、近親相姦というと嘗て、日本は母息子、欧米は父娘だと聞くことが多かったのを思い出した。だが、ひたすらアメリカの後を追ってきた日本では、最近は父娘の件を聞くことが本当に増えてきたように思う。


 翌々日に観た『黄昏のチャイナタウン』は、完全ノーカット版ではなかったような気がするけれど、二時間を超える作品ながら、けっこうスリリングに面白く観た。十六年を経て、監督がポランスキーからジャック・ニコルソンに変わっていたが、オープニングのあやしさが何だかニコルソンのイメージに見合っていて笑いが漏れた。前作の盗撮写真と対になっている動画がなかなか謎めいていた。とにもかくにも二時間を超える尺を充分にもたせているのは、やはり大したものだと思う。

 だが、いくらもう一人のジェイクだからといって、バーマン(ハーヴェイ・カイテル)のキャラクターを愛妻家にしてしまっては、もはや“チャイナタウン”ではなくなる気がする。石油王アール・ローリー(リチャード・ファーンズワース)が、もっと負の大活躍をしそうに思ったのが外されて、少々拍子抜けしてしまった。また、リリアン(マデリン・ストウ)との絡みに至る展開の唐突さにも驚いたが、そこは脚本のほうの問題であって、それをかなり力づくの演出でうまく煙に巻いてる感じがあって感心した。

 それにしても、前作でこの先どうなることかと危ぶまれたキャサリンは、なぜか中国人の元でチャイナタウンではないところで育ったようで、それは、もしかするとジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)の手配だったのかもしれないけれど、モーレイを名乗っていてクロスではなかったから、祖父というか父というかノアの毒牙は免れたようになっていた。だが、夫の事情から孤閨をかこつようになってからの有様や、再会したギテスによろめく心許ない有様を観ていると、健やかに育つことは叶わなかったことが窺えて、少々暗澹たる気分に見舞われた。石油が出たことでカネには不自由しない採掘権者にはなるのだろうけれども、平凡な幸いには縁がなさそうに思えた。
by ヤマ

'21. 3.11. BSーTBS録画
'21. 3.13. BSーTBS録画



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