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御像は、傳教大師の作と伝えられ、立像の身長一尺七寸五分、その昔宝暦のころ高ケ坂村に検地の事があり、門前の某なる者がご朱印地検地に際し、寺領を割取らんと欲して、ついに時の住職と訴訟を起こし、己が意に満たざるを遺として、ある夜方丈の室に忍び入り、和尚を一刀のもとに斬殺し逃げていった。ところが和尚は、物音に驚き目覚め傍らを見ると、そこには、観音菩薩が転がっていた。よく見れば、あなおそろしや右肩に重傷を負っていた。あら有りがたや、即ち衲が身代わりに立たせ給いし者ならん。とそれよりその霊験の顕さを伝え聞く者身代わり聖観音と称え尊むにいたると。 |
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