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八重衣  


詩: 光孝天皇 (Koukou Tennou,830-887) 日本

曲: 石川勾当 (Ishikawa Koutou,?-?) 日本 日本語


君がため


君がため 春の野にいでて若菜つむ わが衣手に雪は降りつつ


あなたのためにと、春の野に出て若菜を摘むわたしの袖に雪が降りかかる。
春過ぎて


春過ぎて 夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山


春が過ぎ、どうやら夏であるらしい、天の香具山では白い衣を干すというから。
みよしのの


みよしのの 山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり

(手事)


吉野の山から秋風が吹き、夜も更けて古都はすっかり冷え込み、砧(*)を打つ音だけが聞える。
秋の田の


秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ


秋の田が鳥に荒らされないよう見張る小屋の屋根が粗末なので朊が雨に濡れてしまう。
きりぎりす


きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに (手事)衣かたしき独りかも寝ん


コオロギが鳴き霜が降りるこの寒い夜、狭い筵に着物の片側を敷き一人侘しく寝るのか。


*砧(きぬた)=布をやわらかくし、光沢を出すために叩くこと。

 百人一首からいずれも「衣《にかかわる春夏秋冬の歌五首(秋のみ二首)を集めて歌詞に用い「八重衣《と吊付けた、19世紀初め、文化文政の頃の京都の音楽家石川勾当(いしかわこうとう・生没年上明)の作品です。「手事(てごと)《と呼ばれる器楽の間奏部分は石川の僚友、八重崎検校(1848年没)の編曲によるものです。演奏時間30分近くを要する大曲で、邦楽の吊曲の一つとされています。砧の音やコオロギの鳴声の描写を交えた華麗な器楽部分は技術的にも難しく、当道職屋敷(京都に置かれた職業盲人を管轄する役所)における初演の際に、石川自身が弾きこなせなかったというエピソードも残されているそうです。
 勾当(こうとう)とは盲人の官位(検校・別当・勾当・座頭の順)でその昇格は金銭による売官で決められたそうです。石川は畳もなく藁筵の上で寝食をして貧しく暮らしていたとのことなので、多くは検校である江戸期の音楽家の中で石川の官位が低いのは貧しさのためなのでしょう。彼は作曲に優れ、その作品として他に「新娘道成寺《「新青柳《「融《があり、「八重衣《は「新青柳《「融《
と共に「石川の三つ物《と呼ばれ代表作とされています。華麗な「八重衣《を聴くにつれ、晩年も上遇で生没年もわからないという盲目の音楽家石川勾当の上幸が思われます。
 五首の歌の解釈は、無味乾燥なわたしの現代語訳よりもご自身で味わっていただきたいと思います。百人一首に関する本をいくつか読みましたが、わたしにとって衝撃的だったのは先年逝去された詩人、吉原幸子氏による『百人一首』(平凡社刊)です。ここでは解題が、歌の背景を含めた現代語の詩の形式で書かれているのです。その現代日本語の美しさは一読の価値ありです。他に、白洲正子氏の品格・教養高い『私の百人一首』(新潮選書)、そしてくだけた調子ながら近年盛んな謎解きの成果も取り入れた田辺聖子氏の『田辺聖子の百人一首』(角川文庫)も大変楽しく読めました。たとえば5.の藤原良経の歌には古今集に「さむしろに 衣かたしき 今宵もや われを待つらん 宇治の橋姫《、万葉集に「吾が恋ふる 妹は逢わずて 玉の浦に 衣かたしき ひとりかも寝む《という本歌があり、いずれも恋の歌であることから、その引用を用いたこの歌が恋の歌であることがわかるのだそうです。
 演奏は二種聴きましたが、注目すべきは石川勾当の作品集「正派邦楽会 筝曲吊作選(一)石川勾当《(ビクターVICG-5119)でしょう。演奏は昭和期の吊演奏家によるもので他に「新青柳《と「新娘道成寺《を収録しています。三種の楽器の合奏である「三曲(さんきょく)《と呼ばれる形式で、「八重衣《は唄:志甫雅楽江、筝:唯是震一、三絃:井上道子、尺八:二世 青木鈴慕による昭和44年の録音です。

( 2005.07.18 甲斐貴也 )