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曲: 吉沢検校 (Yoshizawa Kengyo,1808-1872) 日本 日本語
鶯の谷よりいづる声なくは 春くることを誰か知らまし
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うぐいすが谷から出てくる声が聞えなければ 春の訪れを誰が知ることができるだろう
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み山には松の雪だに消えなくに 都は野辺の若菜つみけり
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山の上では松に積もった雪が残っているというのに 都ではもう野原の野草を摘んでいる
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3 世の中に (Ariwara no Narihira)
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世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
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この世の中に桜というものが無かったなら 心静かに春を過ごすことが出来たろうに
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駒並めていざ見にゆかむ故里は 雪とのみこそ花は散るらめ
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馬を連ねてさあ見に行こうふるさとへ きっと雪のように花が散っていることだろう
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5 わが屋戸に (Ooshikouchi no Mitsune)
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わが屋戸に咲ける藤波立ちかへり すぎがてにのみ人の見るらむ
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わたしの家に咲く藤の花を通り過ぎてから引き返し 立ち去りがたく眺める人がいる
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6 声たえず (Fujiwara no Okikaze)
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声たえず鳴けや鶯ひととせに ふたたびとだに来べき春かは
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うぐいすよ途絶えることなく鳴いておくれ これから一年の間来ることもない春なのだから
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幕末の作曲家吉沢検校の作品で、雅楽風の前奏のあと短い合いの手とともに和歌が詠われる筝伴奏の歌曲です。その後明治期に松阪春栄が第四歌と第五歌の間に長大で華麗な間奏曲(手事)を挿入し、今日ではその形での演奏が定着しているとのことです。ドイツリートに技巧的ピアノ間奏を挿入してしまうようなものですが、わたしのような純邦楽に不案内な聴き手には楽しいことも事実です。各歌は後半部分が繰り返され、演奏時間は手事を含めて20分ほどです。
筝曲はそれまで男女の間を歌った地歌が主でしたが、筝曲の地位向上を志した吉沢検校は自身造詣の深かった和歌から古今集を選び、春の歌をほぼ早春から晩春の順に配列しています。
1.は大江千里(おおえのちさと)作。中国最古の詩集『詩経』に本歌のある作品とのことです。「いづる」は「いでて鳴く」の意。
2.「都」は「都の人」の意とのこと。
3.在原業平(ありわらのなりひら)作。桜に心ときめかす日本人の心情をなんとも巧みに表現しています。「渚院にて桜を見てよめる」とあります。
4.「並めて」は「なめて」。
5.凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)作。「家に藤の花の咲きけりけるを、人の立ちとまりて見けるをよめる」とあります。
6.藤原興風(ふじわらのおきかぜ)作。これは鳴いている鶯に呼びかけているという解釈と、もう鳴かなくなった鶯に呼びかけ過ぎ行く春を惜しんでいるという解釈があります。「寛平御時后の宮の歌合の歌」とあります。
演奏は手に入りやすいものがなかなか見当たりませんが、人間国宝の米川敏子女史による録音を図書館で聴くことが出来ました。佐藤親貴と交互に歌と琴をこなしています。高齢にての歌声が味わい深く楽しめるのは、クラシック歌曲にはない楽しみです(キングレコード)。
参考文献:「新編日本古典文学全集11:古今和歌集」(小学館)、「古今和歌集」(岩波文庫)
( 2005.05.29 甲斐貴也 )