6 Laulut Op.88 |
6つの歌 |
1 Blåsippan (Frans Mikael Franzén)
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1 青いアネモネ (フランセン)
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Det vittnar du på jordens bryn. Du vårens förstling främst bland alla! Dock såsom allt,vadsknt vi kalla. Åt himlen visar du också Med dina ögon himmelsbrå. |
そいつをおまえは大地の端で実現する おまえは春の最初のもの、すべてに先駆けるのだ! しかし美しいとわれらが呼ぶ あらゆるものと同じように 天に向かっておまえもまた指し示すのだ おまえの瞳の空の青さで |
2 De bägge rosorna (Frans Mikael Franzén)
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2 二本のバラ (フランセン)
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skönast I kransen av blommor; Därför ock himlen själv lånar till prydnad dess färg. Även den vita är täck : men vad skönhet, när bägge tillsammans, Spruckna på oskuldens kind, höja varandras behag! |
花々の輪飾りの中で一番美しい だから空も自ら借りるのだ 装いのために この色を 白バラもまた美しい:だが何という美しさだ ふたつのバラが一緒になり 無邪気な頬の上で花開き 互いの喜びを高めあう姿は |
3 Vitsippan (Frans Mikael Franzén)
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3 白いアネモネ (フランセン)
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men ack! hur förgänglig. Knappt av din hand hon bryts, innan hon dör i din hand. Henne i ömhet lik som i täckhet, akta dig flicka, Att,av förförar’n kysst, du ej må vissna som hon. |
だが ああ! 何とはかないこと! きみの手に摘まれるやいなや 花はきみの手の中で死を迎える 優美さでも愛情の細やかさでもこの花にそっくりなのだから 少女よ 気をつけて 誘惑する男のキスで この花のようにしおれてしまわないように |
4 Sippan (Johan Ludvig Runeberg)
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4 アネモネ (ルーネベリ)
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Om jag bröt dig,om jag gav dig Åt den älskade,den kalla! Bröt jag dig,jag skulle ge dig, Gav jag dig,jag skulle säga: “Nära drivans kant,o flicka, Växte vårens första blomma, Som vid isen av ditt hjärta Blommar opp min trogna kärlek, Bävande för vinterkylan, Men ej kvävd av den,ej skördad.” |
もし私がお前を折り、もしお前を与えたなら 愛する人に、冷たい人に! 私がお前を折ったなら、私はお前を与えるだろう 私がお前を与えたなら、私はこう言うのだ: 「雪の吹きだまりの縁に、おお少女よ 春の初めての花は咲いていた まるでお前の心の氷のそばに 私の誠の愛が咲くように 冬の寒さに震えながら それでも寒さに窒息もさせられず 摘み取られもせずに」 |
5 Törnet (Johan Ludvig Runeberg)
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5 野イバラ (ルーネベリ)
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Svept i vinterns is,förmås du, Höljd av taggar,hatas du. Men jag tänker : kommer våren, Slr du ut i blad och rosor, Och en växt finns ej på jorden, Ljuv och älskad såsom du. O hur mången törnestängel Står ej naken i naturen, Som behövde kärlek blott, Blott en solblick av ett hjärta, För att kläda sig i rosor Och vart väsens glädje bli. |
冬の氷に閉ざされてお前はいやしめられ 棘に覆われてお前は嫌われている だが私は思う:春が来て お前に葉が出て そしてバラの花が咲く そのとき地上には他にどんな草木もないのだ 香り高く愛されているものは、お前に並ぶほど おお、なんとたくさんの野イバラの茎が この自然の中にむき出しで立っていることか それはただむき出しの愛情を必要としている たったひとつの心からの太陽の眼差しを バラの花で自らを飾るために そしてすべての生き物の喜びとなるために |
6 Blommans öde (Johan Ludvig Runeberg)
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6 花の運命 (ルーネベリ)
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Rov för höstens vind, Blomma,säg vi dröjer tåren På din späda kind? “Solen dalar, Stormens röst jag hör.” Så den späda blomman talar, Träffas bräcks och dör. |
秋風の犠牲者 花よ 私たちに話して どうして涙が残っているの あなたのかよわい頬の上に? 「日は沈み 嵐の声を私は聞く」 かよわい花はそう語り 打ちのめされ、散らされ、そして死んだ |
シベリウスのOp.88の6曲からなる歌曲集、彼にとっては珍しくひとつのテーマで統一が取られている作品で、そのすべてが花にちなんだ詩を選んで曲を付けています。そのうち半分がアネモネ、残りのうち2つがバラだというセレクションは北欧らしいといいますか興味深いところです。前半はF.M.フランセン(Frans Michael Franzen 1772-1847)というやはりスウェーデン語で書くフィンランドの詩人の詩、そして後半3曲はシベリウスの歌曲ではお馴染みのR.L.ルネベルイの詩です。
いずれも1分前後の短い曲で、しかもシベリウスの重厚なスタイルからするとこの楚々として可愛らしい音楽は少々異色なところも感じなくはありませんが、やはりこれはシベリウスの傑作ではないかと思います。
第1曲目は浮き立つような喜びに満ちた伴奏のメロディがひときわ印象的です。その響きに対して静かにあこがれに満ちて歌われる声との掛け合いは素晴らしく、じんわりとした春の喜びが伝わってくるようです。こんな可愛らしい歌曲もシベリウスは書いたのですね。
第2曲はぽつり・ぽつりと語りかける言葉がなんとも陶酔的。しかしちょっと印象は弱いでしょうか。クラーいシャンソンをシベリウスが何の弾みかつい書いてしまったという感じで、それはそれで面白いのではありますが。
第3曲がまたシベリウスの美質を生かしながら実に可愛らしい歌にしています。アネモネがこんな花だとは私も知りませんでしたが、それを題材にして若い娘にあまりフラフラしないように、と歌います。
第4曲からあとは詩人が変わりますので、ここでガラッと雰囲気が変わる感じ。これもアネモネを歌った詞ではありますが、このある意味説教くさいとさえも言える詩はさすがルネベルイらしいといいますか。
第5曲がいちばんシベリウスの歌曲らしいでしょうか。しみじみと語りかけるような歌はまさにシベリウス。しかしバラの美しさに嘆息するような陶酔感はこの歌に新鮮な魅力を与えています。ルネべルイの詩らしく花の美しさを讃えるにもかなり回りくどく哲学的ですが、そこに短くともたいへん荘重な音楽を付けているので詞と音楽が実によくマッチしています。
最後の曲だけがひたすら悲しく、寂しい歌になっていますが、これは歌曲集全体に引き締まった印象を与えてくれています。これも典型的なシベリウスのメロディという感じです。
Op.17の「もはや私は尋ねなかった」をギュッと凝縮した感じの非常に短い歌です。
全体を通して歌っても10分もかからない歌曲集ですので、取り上げられるときはたいてい纏めてでしょうか。フォン=オッターの歌ったシベリウス歌曲集(BIS)にあるものがなかなか素敵です。
( 2007.11.30 藤井宏行 )