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前奏曲抄  


詩: 野上彰 (Nogami Akira,1909-1967) 日本

曲: 高田三郎 (Takata Saburou,1931-2000) 日本 日本語


1 わたしの心にある三つのものよ


わたしの心にある三つのものよ。
忍苦と狂愛と憂愁よ
冬のきびしい風が
わたしの心を蝕み
いつのまにか植えつけてしまった律法(おきて)を
わたしはいつまでも失わないでいよう


2 忘却の時にあって


忘却の時にあって
あなたを思うのは美しい
天使よ
五月の雨の果樹園に
小さな花花を咲かせるように
天使よ
わたしの胸の中にも白い花花をもたらし
あなたの翼の五彩のいろでふちどらせたまえ
 失われるものは貴く
 流れて行くものは美しい
 取り残されたものは穢い形骸でしかない
天使よ
わたしの心のなかに倫理と戒律をもたらし
転生と輪廻を夢みさせたまえ


3 雨は降る


雨は降る
 今朝生まれたばかりの蜻蛉(とんぼ)の羽に
雨は降る
 五月の森の新しい緑に
雨は降る
 水量(みずかさ)の増した水車小屋に
雨は降る
 赤い舌を空に向けてさえずっている大葦切(おおよしきり)に
雨は降る
 わたしたちの新しい家に 庭に そして
 営みをはじめた蜂の巣に
ああ
 五月の雨が降りつづく
わたしたちの新しい希望よ


4 虻は飛ぶ


虻は飛ぶ 金色に
ああ
アカシヤの並木には
朝の神々の化粧がこぼれている


5 わたしは帰って行くであろう


わたしは帰って行くであろう
火山灰の積もっている谷の奥に
黄鶲(きびたき)が静かな巣を編んでいる樅の林に

わたしは小さな丸木小屋を組んで住むであろう
きのこの生えた苔の上に
伊吹虎の尾に秋の終りの蜂が群れている崖の下に

わたしは死んで行くであろう
落葉松(からまつ)の月夜の霧につつまれて
わたしたちの上に積み重なった歳月の重さに喘ぎながら



野上彰の詩集「前奏曲」から5篇の詩を選んで曲をつけています。野上の詩は歌にぴったりくるような音楽的なもののように私には思えるのですが、意外と歌曲作品になっているものは多くはありません。中ではこの高田の歌曲集は大変貴重な成果物。繊細な詩に流麗なメロディが見事に乗ってとても味わい深い音楽となりました。Youtubeに小川明子さんが全曲アップして下さっているのがとても有難いですし、魅力的な演奏でもあります。

( 2018.10.20 藤井宏行 )