Mne grustno |
ぼくは悲しい |
Mne grustno,potomu chto ja tebja ljublju I znaju: Molodost' cvetushchuju tvoju Ne poshchadit molvy kovarnoje gonen'je. Za kazhdyj svetlyj den' il' sladkoje mgnoven'je Slezami i toskoj zaplatish' ty sud'be. Mne grustno,potomu chto veselo tebe. |
ぼくは悲しい 君を愛しているから そして君の若さを 美しさを 皆の妬みや噂話は容赦しないであろうことを知っているから 幸せな日々が、甘いひとときが やがて涙と憂いへと必ず変わるときがくるのだから ぼくは悲しい 君が今幸せそうだから... |
ロシア歌曲の発展史上では重要な人のひとりダルゴムイシスキーはムソルグスキーからショスタコーヴィッチに至るデクラメーション(朗唱)方式の歌曲の先達として、既に取り上げた 「虫けら」のような反骨精神や諧謔味に真価があるように私は思いますが、決してグリンカからチャイコフスキーに繋がる流れの流麗なロマンスの世界に傑作がないわけではありません。この曲はロシアの熱血詩人レールモントフの悲しい恋愛詩につけた曲ですが、詩の意味深長さに加えてしみじみとして印象に残ります。恋の歌ではありますが熱愛の歌でも、はたまた失恋の歌でもなく、青春の盛りを過ぎればあとは下がっていくしかない、という、しかも一度盛りを経験した人は、その盛りの時期にどうしても妬みややっかみを買っていますから、盛りから下がっていくときの辛さは並大抵ではない、という人生の真実。これをわずか20代そこそこの青年詩人が深く感じ取っていることの重たさ。そしてこの重い真実をひとりで背負うかのような暗くも悲痛なロシア民謡を思わせるメロディ、最後に“Mne grustno,potomu chto veselo tebe. (ぼくは悲しい 君が今幸せそうだから)”を何回も繰り返して消え入るように終わるのがとりわけ印象的です。
男声も女声にもひろく歌われ、録音も結構ありますのでもしかしたらダルゴムイシスキーの代表作といっても良いかもしれません。個人的によく聴いて気に入っているのがソプラノのネタニア・ダヴラツがエリック・ウエルバの伴奏で入れているVangard盤、日本ではカントルーブの「オーヴェルニュの歌」の録音ばかりがもてはやされるダウラツですが、このロシア歌曲集もそれ並み、あるいはそれ以上に評価されるべき音盤だと思います。
ステレオタイプのロシア歌曲らしくない清新な爽やかさを引き出しているという点で、ロシア歌曲の新たな魅力を私に教えてくれたものです。歌曲伴奏の名手ウエルバにしても、ロシア歌曲の伴奏をこれだけ弾いているものは他にないのではないでしょうか。
( 2006.01.09 藤井宏行 )