Adeli |
アデーリへ |
Igraj,Adeli, Ne znaj pechali, Kharity,Leli Tebja venchali I kolybeli Tvoju kachali. Tvoja vesna Tikha,jasna: Dlja naslazhdenja Ty rozhdena. Chasy upojenja Lovi,lovi, Mladyje dni Otdaj ljubvi. I v shume sveta Ljubi,Adeli, Moju svireli. |
遊べよ アデーリよ 悲しみなど 知ることなく 美の女神や恋の神が 生まれたばかりのお前を祝福し 揺りかごをゆすって くれていたのだから お前の春は 穏やかで明るい 幸せを味わうために お前は生まれたのだから この素晴らしい時を 逃すな、逃すな! 若い日々を 恋に捧げるのだ そしてこの騒がしい世の中でも アデーリよ、愛しておくれ 私の葦笛を |
プーシキンが反皇帝の社会改革派・デカブリストたちに共鳴した詩をたくさん書いたために南ロシアに追放された20代のはじめ、そこで出会った領主ダヴィードフの娘アデーリに書いたという詩です。
この時アデーリはまだ12歳だったそうなので恋愛詩とは行きませんが、その代わりに純真な少女に対して投げかけている暖かい眼差しがとても素敵に思えませんでしょうか。仲良くなったこの少女に戯れに送った詩であると言われています。もっとも実際の歴史ではそんな微笑ましいストーリーではなくもっとドロドロした人間関係があったり(この娘の母親にプーシキンが惚れていたのだとか)、またこのアデーリ自身もその後この詩のように幸せな青春は送ることができなかったようですが、それでもこの詩の中に歌われる心情は、娘を持つ父親であれば誰でも共感できるところだと思います。
今年もまた、そんな気持ちを踏みにじるような悲惨な事故や事件で小さな子供たちの命が奪われてしまいました。私にも広島や栃木の事件と同世代の娘がおりますので、この詩を読んだときには非常にじんとくるものがありました。もうこれ以上こんなことが起こらないことを祈り、すべての子供たちに捧げたくて苦手なロシア語も省みずに訳してみました。
この詩に付けたグリンカの曲(1849)は、おずおずとためらいがちに始まるピアノ伴奏に軽やかにおどけるような歌の第1節、最後の“I kolybeli Tvoju kachali.”を3回繰り返すところなども含め、キューピットたちが赤ん坊のゆりかごをゆすっているような可愛らしいもの。ロシアのモーツアルトとでも呼びたくなるような美しさです。そして間奏がほんのりと翳りを見せてから続く第2節はしっとりと暖かく、前節との対比が見事です。これをもう1回繰り返したあと最後に「私の葦笛(詩の比喩だと思います)を愛してくれ」という部分の盛り上がり...
グリンカの歌曲としては最高傑作というわけには行きませんが、彼の美質が良く出た佳曲だと思います。ロシア語と旋律の溶け合いかたも素晴らしいです。
LP時代に私の愛していたニーナ・ドルリアクのソプラノに夫君リヒテルのピアノ伴奏の録音は、フランツ・ペーターさんにCD再発されたことをかつて教えて頂きましたがまだ入手できず、今回この記事を書きながら聴いているのはガリーナ・ヴィシネフスカヤのソプラノにロストロポーヴィチの伴奏というこちらも夫妻共演盤(Erato)、1991年録音ということでちょっと彼女の盛りを過ぎているためか声の瑞々しさやしなやかさに不満が残るところはありますが、この美しい曲を美しいままで聴かせてくれるのはさすが。グリンカの歌曲は変な味付けをしようと思えばできてしまうので、この自然体の解釈はありがたいです。でもこれも現在は廃盤のはず。今容易に入手できる録音はあるのでしょうかね?多くの人に聴いて頂きたい歌曲なのですが。
( 2005.12.26 藤井宏行 )