Préface du Kokinshiou Op.9 Sept Hai-Kai |
古今集序 7つの俳諧 |
詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
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花になくうぐひす、水にすむかはづ(蛙)のこゑをきけば、 いきとしいけるもの いづれかうたをよまざりける もしあなたが花の中のナイチンゲールの声を聞いたなら あるいは水の中のカエルの声を 誰も歌わずに一日を過ごすことはできないということを知るでしょう |
ラヴェルの弟子に、彼の異国趣味を極限まで広げた面白い作品をたくさん書いているモーリス・ドラージュという人がいます。
(弟子とはいっても音楽はほとんど独学で、ラヴェルからはいろいろアドヴァイスを貰っただけの関係のようですが、作風は私の聴くかぎり良く似ています)
ラヴェルの歌曲でいうと、「シェラザード」や「ステファン・マラルメの3つの詩」あたりに通じるものを聴かせてくれるのですが、ドラージュの面白いところはその題材がとても凝っていることです。有名なところでは、フォン・オッターやJ・ベイカーなどの大物歌手の録音のある「ヒンドゥーの4つの詩」があって、印象派的なアンサンブルの中にシタールを模したチェロのインド音楽風の響きが実に面白いのを聴かれた方も多いのではないかと思いますが、他にも「3つのジャングルの歌(詩:キプリング)」など露骨な異国趣味が何とも潔い作品を書いています。
その彼には「7つの俳諧」と「サムライの死によせて」という日本を題材にした歌曲集があり、「7つの俳諧」の第一曲目は何と古今集の序の一節(をフランス語に訳したもの)です。
おっと、古今集は俳諧じゃなくて和歌だろうが、というツッコミはナシにしましょう。
2曲目から以降は非常に簡潔なミニアチュアで、俳句の香りがぷんぷんです。このように「ステファン・マラルメの3つの詩」の世界が各曲1分足らずで次々めくるめく変わるのは大変面白い体験です。これらはいろいろな解説を見ると日本の俳句を訳したものに曲を付けたかのような記述がよく見られますが、もとの句が誰のものであったかは分かりません。
もっとも、フランス語の歌詞の一節を入れて検索したところ引っかかってきた次のエッセイ(英語)を読むと、20世紀の初め頃にはフランスの詩人の中にも俳句のスタイルに影響を受けて詩を書く人も現れてきていて、この「7つの俳諧」の第3曲Coq(おんどり)の作者はGeorge Sabironという人であることが分かりました。
http://www.modernhaiku.org/essays/frenchhaiku.html
このエッセイ、19世紀フランスの詩人の大きな2つの流れ、高踏派(Parnasse)と象徴派(Symbolism)から論を説き起こし、フランスでの俳句の普及の歴史を論じます。ルナールの有名な「博物誌」(ラヴェルの付曲で有名ですね)に俳句のスタイルの影響を見たり、シュールレアリズムの代表的詩人エリュアール作のフレンチ俳句を紹介していたり(結構笑える作品です)、非常に面白い内容です。
ぜひ一読を...
こうしてみると、第1曲目のこの古今集序だけが日本語からのフランス語訳で、あとはもしかするとフランス詩人の俳句なのかも知れません(残念ながら他の詩は検索でヒットしませんでしたが)。
CDは私が聴いたのはARIAというレーベルにある録音、イギリスの大物ソプラノ、フェリシティ・ロットが歌っています。このCD、ドラージュの作品としては代表作の「ヒンドゥーの4つの詩」も収録されています。他にもドラーシュの歌曲作品が何曲か併録されていますが、それにも増してこのCDの価値を高めているのは、「巴里祭」などの映画音楽で有名なモーリス・ジョベールのクラシック歌曲を何曲か収録していることです。
これも異国趣味に溢れた大変面白い作品ばかりですのでぜひお聴きいただけると良いのではないかと思います。
ドラージュの歌曲作品集は他にもTimpani(私は未聴)、New Arbionなどにあります。
(2004.01.18)
他の6曲のアップを期にさる方よりメールを頂き、この歌曲集の原詩に関わる情報を頂きました。柴田依子さんという方の書かれた「俳句のジャポニズム」(角川学芸出版)によれば、3・6曲目を除く歌詞はKikou Yamataの“Sur des Levres Japonaises”によるとありました。3曲目の詩は私が見つけた通りGeorge Sabironという人の、そして第6曲目の鬼貫の詩をフランス語に訳したのはこの著書のテーマとなっているポール=ルイ・クーシュ(Paul-Louis Couchord 1879-1959)だということです。また第7曲の出典も芭蕉の句だとコメントされていましたのでもとの句を追記いたしました。
また、本書に言及されておりましたがこの「七つの俳諧」の楽譜の表紙、フランスでも活躍した画家 藤田嗣治の手になるものだそうです。
maurice delage sept haikaiで画像検索をかけて頂ければ容易に見つかると思いますが、赤地の背景に三人の子供が輪を作っている日本画風の作品でした。
ここで言及されておりますKikou Yamata(山田萄 1897-1975)という人は父が日本人外交官、母がフランス人ということでフランスに長く住み、フランス語で小説や詩を書いた人だそうです。メサジェのオペラにもなったピエール・ロティの小説「お菊夫人」のモデルとも言われております。“Sur des Levres Japonaises”は「日本の唇の上に」とでも訳すのでしょうか。特に俳諧に限らず日本の短詩をフランスに紹介しているのだと思われます。
ということで困りましたのは、クーシュのものを含めフランス語の詩の著作権が切れておりませんことが分かってしまったこと...(気付かずに作者不詳のままだったら良かったのですが)
著作権侵害をするのは本意ではございませんので、フランス語詞についてはすべて今回の判明を機に削除させて頂くこととさせて頂きます。日本語訳につきましては翻訳権侵害を突かれると苦しいのですが、訳す際に当方のオリジナリティも入れてあるということで現時点では残させて頂くこととします。権利者の方よりクレームがあればこちらも削除致しますがご容赦のほど。
( 2014.11.24 藤井宏行 )