Der Schreckenberger Gedichite von Eichendorff für eine Singstime und Klavier |
かのシュレッケンベルガー殿 アイヒェンドルフ歌曲集 |
Aufs Wohlsein meiner Dame, eine Windfahn' ist ihr Panier, Fortuna ist ihr Name, das Lager ihr Quartier! Und wendet sie sich weiter, ich kümmre mich nicht drum, da draußen ohne Reiter, da geht die Welt so dumm. Statt Pulverblitz und Knattern aus jedem wüsten Haus Gevattern sehn und schnattern alle Lust zum Land hinaus. Fortuna weint vor Ärger, es rinnet Perl' auf Perl'; “Wo ist der Schreckenberger? Das war ein andrer Kerl!” Sie tut den Arm mir reichen, Fama bläst das Geleit, so zu dem Tempel steigen wir der Unsterblichkeit. |
我が貴婦人の健康を祝す! 吹流しを軍旗にする その名はフォルトゥーナ 野営地がその陣地というわけだ あいつがどこになびこうと 俺は全然気にしない 騎手を連れずに行ったって ろくなことはありゃしない 火薬の火花や銃声の代わりに そこいらじゅうのボロ屋から 口さがない奴らの目と噂 楽しいわけがありゃしない フォルトゥーナは腹を立てて泣く 真珠の涙がはらはら落ちる 「かのシュレッケンベルガー殿は今いずこ? あのお方は一味違う殿御であった!」 彼女は俺に腕を差し出し 響き渡る名声と共に 俺たちは神殿の階段を登る 永遠不滅となるために |
* )フォルトゥーナ=ローマ神話の人間の運命を司る女神。転じて幸運の女神、賭博の女神の名となった。
アイヒェンドルフ晩年の短編小説”Die Glücksritter”(『運任せの騎士たち』)の挿入詩です。シュレッケンベルガーは物語の脇役。三十年戦争の終結によって職を失った傭兵の彼が、新たな戦場を求めて仲間たちとハンガリーに向う途中、ハレ近郊の村の廃墟で野営している時に、女詐欺師ジンカSinkaに騙された話をしながら歌うのがこの詩です。すると兵士たちが帽子を振って歓呼の声を上げ、『崇高なる新郎新婦バンザイ、我等が不滅の神殿騎士殿万歳!』“Viva das hohe Brautpaar,hoch lebe unser Templeherr der Unterblichkeit!”と叫びます。この神殿騎士というのは十字軍時代のテンプル騎士団のことのようです。
ジンカは彼らの傭兵連隊で商売をする女酒保商人で、その美貌で兵士たちを篭絡して稼いでいましたが、ある時貴婦人に変装して傭兵たちを誘惑し館に誘い込んで閉じ込め、その間に連隊の金庫を盗んで逃走したのです。ですからこの詩の野営地のフォルトゥーナとはジンカのことで、美人に騙された負け惜しみの歌というわけでしょう。
問題なのはタイトルとなっている”Der Schreckenberger”に定冠詞”der(Der)”がついていることです。そこで既存の訳では人名ではなくあだ名として扱われ、邦訳では『ほら吹き大将』、『空威張り』、英訳では”Old fearless”,”The Swashbuckler”,”The Dare-devil Cavalier”など、シュレッケンベルガーの人物設定に従って工夫を凝らした意訳になっています。しかし後述のように、シュレッケンベルガーという名が上記の和訳や英訳のような意味を持つことは調べた範囲では確認できませんでした。結局原書を調べたところ、シュレッケンベルガーの名は本文中では定冠詞無しのSchreckenbergerで、歌の中でだけ”der”がついていることがわかりました。そこでわたしの解釈としては、”Der Schreckenberger”は「かの(有名な)シュレッケンベルガー」「あのシュレッケンベルガーという男」というニュアンスの表現ではないかというところに落ち着きました。
さてその詩につけたヴォルフの曲は”Keck und verwegen”(無遠慮で大胆に)と指示され、シュレッケンベルガーの粗野な性格を表した楽天的で豪快なものになっており、最後の大ぼらにふさわしい壮大で大げさな終結は、上記の兵士たちの歓呼の声にも聞えなくもありません。
これも若手がいくら上手に歌っても物足りなさが残る曲のひとつでしょう。その点ヴォルフ協会盤SP復刻のアレキサンダー・キプニスの豪快な歌は万全です。若き日のジェラルド・ムーアのピアノも見事(1935年録音)。それに較べてフィッシャー=ディースカウのは頭が良すぎて騙されそうになく、プライのは人が良すぎて強盗などしそうにない・・・などと言うのは無い物ねだりでしょうか。ユーモラスな曲を得意とするホッターの録音がないようなのは残念です。
なお歌詞で三連目の三行目にあたるところには楽譜に”näselnd”(鼻にかかった声で)という指示があり、そこで歌手がどんな声を出すかも聴き所です。キプニスなどかなり大げさな奇声を発しています。
※シュレッケンベルガー “Der Schreckenberger”とは
辞書には載っていないこの言葉、文字通り「シュレッケンベルクの人(物)」として考えて調べてみると、まず中世にハレ市のあるザクセン・アンハルト州の東隣のザクセンで鋳造されていた銀貨にまさに”Der Schreckenberger”と呼ばれるものがあることがわかりました。このシュレッケンベルクというのは中世に銀鉱山として栄えたザクセン州の古い街アナベルクの古名なのですが、既に16世紀にはアナベルクに改名されています。小説中ではそんな銀貨の話はまったく出てきませんし、前後関係から見ても詩のタイトルの”Der Schreckenberger”がその銀貨のことであるとはいささか考えにくいと思います。 更に調べてみるとシュレッケンベルクはもうひとつありました。こちらはザクセン・アンハルト州の西隣、ヘッセン州の古都カッセル市近郊のツィーレンベルクにある標高475メートルの小山です。ドイツ史に詳しい人ならピンと来るのでしょうが、三十年戦争当時この地の領主ヘッセン=カッセル方伯は、領地の農民を傭兵に仕立てて大量に諸外国に売り渡していた悪名高い人物なのだそうです。たとえばアメリカ独立戦争の英国軍にはドイツの傭兵約二万六千人が参戦していましたが、そのうち実に一万六千人がヘッセンの傭兵で、一万二千人が戦死したそうです。ですから「(ヘッセンの)シュレッケン山の男」はドイツ傭兵を連想させる言葉であるという解釈も可能ではあるでしょう。また直訳すると「恐ろしい山の人」であることから、小説中では強盗も働く荒くれの傭兵のあだ名に似合う名前と言えなくもありません。
かなり悩んで考え過ぎた(?)この問題ですが、結局小説中では定冠詞無しの人名として扱われていることがわかってあっけなく解決というわけです。なおベルリン・フィルのホルン奏者やバッハ・コレギウム・ジャパンのバス歌手など、シュレッケンベルガーの名は音楽家にも何人か見られます。
*短編小説”Die Glücksritter”(『運任せの騎士たち』)
”Die Glücksritter”は1841年に出版されたアイヒェンドルフ最後の小説で、彼が晩年を過ごしたハレ市とその近郊を舞台とする、三十年戦争(1618-1648)が終結した年、森の水車小屋の息子でクラリネットと名乗る若者と、奇妙な老学生ズッピウスの冒険物語です。『幸運な騎士』という題の邦訳もかつてありました。”Der Schreckenberger”の他に、プフィッツナーが作曲している”Die Nachtigallen”もこの小説の挿入詩ですが、ヴォルフが作曲している”Der Glücksritter”という詩は1839年の独立した作品で、この小説には出てきません。
あらすじ:
クラリネットは旅の途中馬車に便乗したのを咎められ、御者たちに暴行を受けそうになったところを通りがかりのズッピウスという風変わりな男に助けられ、その薄汚い部屋に泊めてもらう。その名の通りの楽器を奏するクラリネットは、ズッピウスが思いを寄せるゲロルト伯の令嬢にヴァルトホルンでセレナードを奏する伴奏を頼まれる。
ゲロルト伯の館に着いた二人は、裏口から男が婦人を連れて馬車で出るのを目撃し、ズッピウスは令嬢が誘拐されたと思い込み追跡劇が始まる。ついに馬車に追いつき飛び乗ると令嬢の姿は見えず、何故か高価な装身具や衣装が満載されている。二人はそれを身につけ裕福な騎士のいでたちで通りがかりの館に宿を求めると、館の女主人オイフロジーネ嬢の歓待を受けてしばし滞在することになる。他国の騎士であると名乗ったクラリネットはオイフロジーネから館の婿にと望まれる。安逸な日々が続き、「幸福とはなんと退屈なことか」とクラリネットは独白する。
その頃、人形使いの一座を組む一家の娘デンケリは兵士になってから行方のわからない恋人ジーグルフッパーを思っていた。旅の途中に芸の披露を申し入れて断られた館の庭からジーグルフッパーの声が聞えてくる。女中に尋ねると、それは館の女主人の婚約者、フォン・クラリネット大尉であるという。
館のある丘の下、戦乱で荒れ果てた村の廃墟で傭兵の一団が野営している。彼らは女酒保商人ジンカが、馬車に乗り小姓を連れた貴婦人に変装して傭兵たちを騙し、連隊の金庫を盗んだ一件について話す。そのひとりシュレッケンベルガーが歌う。そこに人形使いの一座が現れる。人形使いは彼らの元戦友で、その話から傭兵たちはオイフロジーネの館を襲撃して皆殺しにし、金品を奪う計画を立てる。それを聞いたデンケリは館に向い、森の妖精を装った歌でクラリネットに危機を知らせる。
傭兵たちが館に踏み込むと、鉢合わせしたオイフロジーネこそあのジンカであった。ジンカはゲロルト伯の館に女中として住み込み、金品を盗んで逃走し、空き家の館で貴婦人を装っていたのだ。ジンカはクラリネットたちを騙すのに時間をかけすぎて長居したことを後悔する。オイフロジーネを守ろうとズッピウスが傭兵たち相手に戦い始めると見知らぬ男たちが現れて加勢し、傭兵たちは逃げ去りジンカも姿をくらます。その男たちは盗人を追ってきたゲロルト伯の猟師であった。後から現れたゲロルト伯はズッピウスの武勇を讃え、同行して来た本物のゲロルト伯令嬢は彼に熱いまなざしを向ける。そしてクラリネットことジーグルフッパーはデンケリと馬に乗っていずこともなく去って行った。
*三十年戦争当時の傭兵と酒保商人
戦乱のヨーロッパ中世で軍隊の主力となったのは傭兵であり、その中でも有名なのがドイツの傭兵ランズクネヒト”Landsknecht”たちだった。戦場だけでなく無関係の住民にも略奪、放火、殺人、強姦など凶悪の限りをつくし悪名高い彼らだが、その多くは長い戦禍による生活基盤の破壊により行き場を無くした農民たちであった。戦争の加害者であると同時に、長い戦乱が人々を苦しめることにより生み出された悪循環の犠牲者でもあったのだ。
中世の軍隊には食料や弾薬輸送を受け持つ非戦闘員の群れがついてまわり、その数は一個連隊について約20%から時に50%もの膨大な数だった。それは兵士の妻や子供を主とする、料理人、御者、手工業者など雑多な人々で、中でも重要なのは自営の従軍商人である酒保商人である。近世までヨーロッパの軍隊では兵士の生活物資の供給を民間業者の酒保商人に頼っていたのだ。「酒保商人たちは糧食だけでなく、武器、弾薬、具足、さらに生活に必要なあらゆる雑貨も扱い、遠征の行く先々で略奪品を兵士たちから安く買い叩き、戦いですさんでいく兵士たちに酒場や賭博場を開き、料理女、飯盛り女、洗濯女、裁縫女、看護婦を抱え、ついでにこれらの女たちを娼婦に早変わりさせ、兵士たちにセックスをも提供していた。」(『傭兵の二千年史』)。
参考文献:
『幸運な騎士』(井手賁訳・鎌倉文庫・昭和24)入手の難しい本ですが国会図書館で閲覧できます。
“Die Glücksritter” (Winkler Dunndruck Ausgabe)
『傭兵の二千年史』菊池良生著(講談社現代新書)
『ヨーロッパの傭兵』鈴木直志著(山川出版社)
( 2005.08.25 甲斐貴也 )