子を頌ふ |
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NAXOSレーベルの邦人作曲家シリーズやその仕掛け人かと思われる片山杜秀氏のおかげで最近、戦前や戦後初頭に活躍した日本の作曲家にスポットライトが当てられるのは大変素晴らしいことです。その中でも評価が高いようなのがこの深井史郎。物理学出身ながら独学で音楽を学び、主として映画音楽の分野で活躍されたようですが、この人にも極めて興味深い声楽作品がいくつかあります。
私がもっとも好んでいるのは、北原白秋の「日本の笛」から3編の詩に曲を付けた同名の歌曲集。平井康三郎作品にも負けないディープな日本情緒にのけぞってしまう名品ですが(米良美一さんのアルバム「うぐいす」(BIS)などで聴けます)これはいずれまたご紹介することにして、今回は近代史の上でより重要なこの曲を。
先の戦争のことを語っている小説やエッセイには良く言及されている有名な作品なのですが、この作曲者が今クラシックファンの間でもてはやされているこの深井史郎であることはあまりどなたも言及されていないようですので...
この曲、太郎と花子という2人の子供に父親がやさしく語りかける歌なのですが、ここで問題となるフレーズが「おまえが大きくなるころは 日本も大きくなっている おまえは私をこえて行け」。
今の目でみると別段どうということのない詞のようにも私には思えますが、やはり戦争のさなかに有名になり過ぎたのがこの曲の不幸でしょうか。戦争がさらに厳しさを増し、大都市の子供たちが田舎に学童疎開をさせられるようになったときに作られた美しい歌「父母のこえ」(詞:与田準一・曲:草川信)でも、「太郎は父のふるさとへ 花子は母のふるさとへ」と歌われ、この時代は太郎と花子という名前が当時の子供たちの代表であるかのような扱いになっているのは興味深いところです。
(今の時代ならどういう名前で呼びかけるのが一般的なのでしょうかねえ「翔太とさくら」とか...)
この「子を頌ふ」の音楽、流行歌モードが絶好調なときの橋本国彦作品のように歯切れ良く明るく歌われて、そんなに戦争という影を感じさせる音楽ではありません。藍川由美さんの「国民歌謡〜われらの歌〜国民合唱」(Denon)や福島明也さんの「うたは美しかった」(同)でも聴くことができますが、もともと合唱曲なので合唱で聴く方が味が出ます。このあたりの国民合唱をいろいろと収録している昭和53年にリリースされた戦後録音がなぜかあって、コロムビアゆりかご会の児童合唱で歌われたものを聴くことができますのでこちらの方がお勧めかと。ここで歌っている子供たちって、よく考えると私と同世代であるというのも感慨深いものがあります(はなはだ個人的感傷ではありますが)。
「太郎が大きくなるまえに 日本は小ちゃくなっちゃった」と、戦後の冗談音楽の王様・三木鶏郎がパロッて復員軍人から抗議を受けたというような逸話もさる本で紹介されていたりしましたが、もはやこの歌自体を知る人も少なくなってしまってパロディにすらできなくなってしまいました。私も曲の存在は知っていましたが、今夏にこうして軍歌・戦時歌謡をまとめて聴いて初めて耳にすることができたのでした。
( 2005.08.05 藤井宏行 )