TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


Erlkönig   Op.1 D 328  
 
魔王  
    

詩: ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832) ドイツ
      Erlkönig (1782)

曲: シューベルト (Franz Peter Schubert,1797-1828) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Wer reitet so spät durch Nacht und Wind?
Es ist der Vater mit seinem Kind;
Er hat den Knaben wohl in dem Arm,
Er faßt ihn sicher,er hält ihn warm.

Mein Sohn,was birgst du so bang dein Gesicht? -
Siehst Vater,du den Erlkönig nicht?
Den Erlenkönig mit Kron und Schweif? -
Mein Sohn,es ist ein Nebelstreif. -

?Du liebes Kind,komm,geh mit mir!
Gar schöne Spiele spiel ich mit dir;
Manch bunte Blumen sind an dem Strand,
Meine Mutter hat manch gülden Gewand.?

Mein Vater,mein Vater,und hörest du nicht,
Was Erlenkönig mir leise verspricht? -
Sei ruhig,bleibe ruhig,mein Kind;
In dürren Blättern säuselt der Wind. -

?Willst,feiner Knabe,du mit mir gehn?
Meine Töchter sollen dich warten schön;
Meine Töchter führen den nächtlichen Reihn
Und wiegen und tanzen und singen dich ein.?

Mein Vater,mein Vater,und siehst du nicht dort
Erlkönigs Töchter am düstern Ort? -
Mein Sohn,mein Sohn,ich seh es genau:
Es scheinen die alten Weiden so grau. -

?Ich liebe dich,mich reizt deine schöne Gestalt;
Und bist du nicht willig,so brauch ich Gewalt.?
Mein Vater,mein Vater,jetzt faßt er mich an!
Erlkönig hat mir ein Leids getan! -

Dem Vater grauset's,er reitet geschwind,
Er hält in den Armen das ächzende Kind,
Erreicht den Hof mit Müh' und Not;
In seinen Armen das Kind war tot.

夜風をついてこんな遅く馬を走らすのは誰か?
それは子を抱えた父親だ。
彼は少年を腕にしっかり抱え、
がっちりつかみ、温かく抱えている。

「息子よ、なぜそんなにおびえて顔を隠すんだい」
「お父さん、魔王が見えないの、
冠かぶり、すそを垂らした魔王が?」
「息子よ、それは霧がたなびいているんだよ」

「ねえ、かわいいぼうや、おいで、わしと一緒に行こうよ!
とても素敵な遊びを一緒にやろう。
色とりどりのお花が沢山岸辺に咲いているし、
わしの母君は金の服をいっぱい持っておるぞ」

「お父さん、お父さん、ねえ聞こえないの、
魔王がぼくにこっそり約束しているのが?」
「落ち着いて、落ち着くんだ、わが子よ、
枯葉を渡る風が音を立てているんだ。」

「いい子よ、わしと一緒に行かないか?
娘にしっかりお前の面倒を見させるよ。
娘は夜に輪舞の先導をして、
きみを揺すって、踊らせて、歌って寝かせてくれるよ。」

「お父さん、お父さん、あそこに見えないの、
薄暗い場所にいる魔王の娘たちが?」
「息子よ、息子、よく見えるとも、
あれは古い柳があんなに灰色に見えるんだ」

「わしはお前が好きだ、お前の美しい姿に夢中なのだ。
それでもお前が嫌がるのなら、手をあげちまうぞ。」
「お父さん、お父さん、もうあいつに捕まっちゃったよ!
魔王がぼくをいじめるよ!」

父親はぞっとして、馬を早める、
彼はうめく子供を腕に抱き
やっと屋敷にたどり着くと、
腕の中で子供は死んでいた。


言わずと知れたゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe : 1749.8.28 - 1832.3.22)の詩によるシューベルトの超有名曲。

“Erlkönig”の語源については石井誠士著の「シューベルト 痛みと愛」(春秋社)に詳しい。同書によると、このドイツ語の文字通りの意味はハンノキ(Erle)の王(König)ということだが、実はデンマークの物語をヘルダー(Johann Gottfried Herder : 1744.8.25 - 1803.12.18)が訳した時の誤訳がこの単語を生んだのだという。デンマーク語で「妖精たちの王様」を意味する”ellerkonge”をヘルダーは誤って”Eller”(ドイツ語で「ハンノキ」)+”König”(王)と解釈してしまい、”Eller”と同義の”Erle”を用いて”Erlkönig”という訳語を作ったようだ。つまりデンマーク語に忠実に訳すならば”Elfenkönig”となるはずだった。ハンノキに宿る王というよりも森で悪戯をする妖精たちの国の王様を指すと考えた方がいいようだ。日本語の「魔王」という訳語は「ハンノキ」と無縁である分、本来の意味により近いと言えるのかもしれない。

ゲーテは1782年に歌と台詞でつないでいく形のジングシュピール「漁師の娘(Die Fischerin)」を書いたが、その幕開きで漁に出た花婿と父の帰りを待つ娘ドルトヒェン(Dortchen)が網の修繕をしながら口ずさむ歌という設定でこの詩が出てくる。つまり、劇の本筋とは全く無縁な一種の民謡のような位置づけである。この劇の初演でこの娘役を演じたのはコローナ・シュレーター(Corona Schröter)という女優だったが、彼女自身が作った簡素で民謡調な歌(長調の8小節のメロディーを繰り返す有節歌曲)を現在CDで聴くことが出来る(HUNGAROTON : HCD 32323)。このような詩の性格を考慮すると、ライヒャルトやツェルターたちが作ったように詩のリズムに則り、音楽が自己主張しすぎない曲がゲーテに支持されたというのも頷ける。シューベルトやレーヴェの曲は漁師の娘が仕事をしながら口ずさむ歌にしてはあまりにも激し過ぎるだろう。だが、この詩に付けられた曲で現在まで生き延びているのはほかでもないシューベルトやレーヴェの作品である。詩の朗読のような歌があり、一方で詩に触発されて音楽で豊かに彩られた歌もある。どちらが正しいというものではない。ライヒャルトもシューベルトもそれぞれの詩の読解に忠実に従っているにすぎないのだろう。

「魔王」の成立について友人シュパウンの有名な証言によると、シュパウンとマイアホーファーが午後にシューベルトを訪れると、シューベルトは大声で「魔王」を読みながら興奮して部屋を歩き回っていた。彼は本を手に何度も行ったり来たりしていたが突然椅子に座りあっという間に作曲、家にピアノが無かった為、みなで寮学校へ走っていき、オルガニストのルジチカが歌なしで共感を持って弾き通した。何人かが度々繰り返される不協和音にけちをつけるとルジチカはそれをピアノで弾きながら、ここではこの不協和音がいかに必然的に歌詞に合っていて美しいか、そしていかにうまく解決されているかを説明した。

シューベルトは18歳の1815年10月頃に第1稿を作曲し、全部で4種類の稿を残している。第2稿をゲーテに献呈しようとして失敗に終わるものの、第4稿は1821年に作品1としてCappi & Diabelli社より出版される(ゲーテが弾きやすいようにピアノの3連符連打を8分音符に変えた第2稿の草稿はしばしば音楽の教科書にも掲載されている)。全4稿ともSchnell(速く)、4分の4拍子で始まるのは共通しているが、第1〜3稿がppで曲が始まるのに対して、最終稿だけがfで始まる。
初演は1821年1月25日、ヴィーン・ムジークフェラインでAugust von Gymnichによって行われた。

有名なピアノ右手の3連符連打は駆ける馬の足音を模し、左手の急速なパッセージは風のうねりや舞い散る馬の土埃を描写すると同時に恐怖と不安におびえる父子の心理描写でもあるだろう。この右手の3連符連打は魔王の2回の呼びかけの箇所で形を変え、右手の疲れを休めることが出来る。ジェラルド・ムーアは著書『歌手と伴奏者(Singer and accompanist)』(1960年:音楽之友社発行)の中で、右手の負荷を軽減する方法として、左手で援助できる箇所を指摘している。イェルク・デームスがはじめてF=ディースカウとこの曲を演奏することになった時、リハーサルではどうしても弾ききることが出来なかったのに、本番ではF=ディースカウにリードされて弾くことが出来たと述懐している。最後の語り手の箇所では両手ともにオクターヴ連打となり、腕の疲れをいかに軽減して弾ききるか、ピアニストにとって一つの挑戦であろう。

歌手は語り手、父、息子、魔王の4人を歌い分けるわけだが、深刻でまっすぐな語り手、低い音域で子の不安を宥めようとする父親、自分の身に迫ってくる魔王の恐怖に高い音域でおびえる息子、そして甘い猫なで声で息子を誘惑し、最後には本性を見せて脅す魔王という各々の性格付けをシューベルト自身が巧妙に描いている為、あからさまな声質の切り替えは逆効果になりかねない。ジェシー・ノーマンの演技はかなり際どいギリギリのところだろう。芝居的効果を狙うのならばむしろそれぞれ別の歌い手を配した方がいいだろう。実際すでに1930年の録音でジョルジュ・ティル(T)が父と子役の別の歌手と歌い分けている。

中学1年生の時、音楽の授業でこの曲を聴いて強烈な印象を受けた私は、初めてクラシック音楽のカセットテープを購入した。そこに含まれていたF=ディースカウ&ムーアの録音を何度も聴き返し、自然とクラシック音楽への興味がふくらんできた。シューベルト歌曲全集の一環として録音された音源(DG:1968年2月録音)だったが、特にムーアの弾く激しいピアノに強く惹かれ、途中で管楽器のような音色を感じてどうやって弾いているのだろうかなどとあれこれ思いにひたったものである(ペダルの効果であろう。その後ほかのピアニストからこの管楽器のような音を感じることはなかった)。その後FMのエアチェックで出来る限り多くのシューベルト歌曲を聴こうと夢中になっていた頃を懐かしく思い出す。

かつて東芝EMIから「25人の名歌手によるシューベルト「魔王」名唱集」(EAC-77369/77370)という2枚組のLPが出ていた。
新旧の「魔王」演奏の歴史を知ることが出来る興味の尽きないレコードであったが、現在はこのLPからの抜粋がCD化されているので購入可能だろうし、図書館でLPを聴くことも出来るだろう。そのディスコグラフィーは重要な演奏資料なのでここに転載させていただきたい(録音順)。

Lilli Lehmann(S) with pf : 1906年
Helge Nissen(BS) with pf : 1912年9月15日
Muriel Brunskill(A) with pf : 1925年11月30日
Peter Dawson(BR)Gerald Moore(P) : 1926年4月12日
Robert Radford(BS) with pf : 1926年9月
Norman Allin(BS) with orch : 1927年6月7日
Frank Titterton(T)Leff Pouishnoff(P) : 1928年4月4日
Hans Duhan(BR)Ferdinand Foll(P) : 1929年1月
Sigrid Onegin(A)Michael Raucheisen(P) : 1929年9月
C. Pascal(boy soprano)Georges Thill(T)Henri Etcheverry(BS) with orch : 1930年3月3日
Lotte Lehmann(S)Frieder Weissmann(P) : 1930年6月19日
Therese Schnabel-Behr(MS)Arthur Schnabel(P) : 1932年11月18日
Charles Panzera(BR)Piero Coppola(C) with orch : 1934年5月
Alexander Kipnis(BS)Gerald Moore(P) : 1936年10月20日
Martha Fuchs(S)Michael Raucheisen(P) : 1937年11月5日
Gerhard Hüsch(BR)Hanns Udo Müller(P) : 1939年8月
Germaine Lubin(S) with pf : 1939年
Frida Leider(S)Michael Raucheisen(P) : 1943年11月
Gustave Simon(BR) with pf : 1948年11月頃
Bernhard Sönnerstedt(BR)Gerald Moore(P) : 1949年7月3日
Marco Rothmüller(BR)Suzanne Gyr(P) : 1950年4月
Dietrich Fischer-Dieskau(BR)Gerald Moore(P) : 1951年10月7日
Dietrich Fischer-Dieskau(BR)Gerald Moore(P) : 1958年5月23〜24日
中山悌一(BR)木村潤二(P) : 1959年2月17日
Christa Ludwig(MS)Geoffrey Parsons(P) : 1965年11月8日
Elisabeth Schwarzkopf(S)Geoffrey Parsons(P) : 1966年4月21〜29日

ほかにはシュルスヌス&ルップ、ハンス・ドゥーハン、エレーナ・ゲルハルト&ニュートン、ローサ・ポンセル、シューマン=ハインク、マリアン・アンダーソン&ルップ、フラグスタート、レーケンパー、プライ&エンゲル、プライ&ドイチュ、スゼー&ボノー、スゼー&ボールドウィン、ローレンツ&シェトラー、アーダム&ドゥンケル、アーダム&デームス、セデルストレム&バドゥラ=スコダ、ノーマン&モル、ファスベンダー&ガルベン、マーガレット・プライス&G.ジョンソン、ゲルネ&A.ヘフリガー、プレガルディエン&ゲース、ホルツマイア&ヴィス、ターフェル&マーティノー、ボストリッジ&ドレイク、クヴァストホフ&スペンサー、エルスナー&ヘル等多くの録音がある(これらのすべてを入手したわけではないが、女声の録音が案外多いのが目立つ)。

Hypeionから出ているGraham Johnson(P)のシューベルト歌曲全集ではSarah Walker(MS)の独唱版(第8巻:1989年5月録音)と、Christine Schäfer(S)John Mark Ainsley(T)Michael George(BS)の役割分担版(第24巻:1993〜1994年録音)を聴くことが出来る。

以前FMで聴いた中では来日公演でのロス・アンヘレスの歌が珍しかった(ガルシア・モランテのピアノ)。
フランシスコ・アライサ&アーウィン・ゲイジの来日公演で歌われた映像がかつてNHKで放送されたので御覧になった方もいらっしゃるだろう。
レーヴェの「魔王」は録音している名バスバリトン歌手のハンス・ホッターがシューベルトの「魔王」を録音しなかったのが不思議だが、子供の声域が高すぎたのかもしれない。シュライアーが歌わなかったのは逆に父親の声域が低すぎたからではないか。

DVDで「魔王」の演奏を楽しむのも興味深いだろう。特にピアニストがいかに奮闘しているか、指使いに工夫をこらしているか、その必要もなく余裕で弾きこなしているか、また歌手が語り手、父、子、魔王の4役をどのような表情で歌い分けているのか興味は尽きない。私の知る限り、以下の3点がある。

Dietrich Fischer-Dieskau(BR)Gerald Moore(P) : 1959年5月14日 : EMI CLASSICS : DVB 4904429
Jessye Norman(S)Geoffrey Parsons(P) : 1987年6月16日 : ユニバーサルクラシックス(PHILIPS) : UCBP-1030
Ian Bostridge(T)Roger Vignoles(P) : 2000年頃 : TDK : DVUS-VTIB

この歌曲の強烈な印象をフランツ・リストがピアノ独奏用に編曲し、左手のパッセージまでわざわざオクターヴにして、忍耐力の必要な作品としてラーザリ・ベルマンをはじめとするヴィルトゥオーゾ達のレパートリーに組み込まれるようになった。

この詞による歌曲としてはほかにレーヴェのもの(Op. 1-3)が有名で、多少の語句の変更を伴いながらも緊迫感に満ちたドラマを作り上げている。シュポーアの歌曲(Op. 154-4)は歌とピアノのほかにヴァイオリン助奏付きという珍しい形で、魔王の誘惑などにこのオブリガートが大活躍する。未完ながらベートーヴェンも作曲しているらしい(WoO. 131)。一度聴いてみたいものだ。

( 2005.07.18 フランツ・ペーター )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ