Nachruf Op.20-14 Lieder nach Gedichten von Uhland und Eichendorff |
追悼の辞 ウーラントとアイヒェンドルフの詩による歌曲 |
Du liebe,treue Laute, Wie manche Sommernacht, Bis daß der Morgen graute, Hab' ich mit dir durchwacht! Die Täler wieder nachten, Kaum spielt noch Abendrot, Doch die sonst mit uns wachten, Die liegen lange tot. Was wollen wir nun singen Hier in der Einsamkeit, Wenn alle von uns gingen, Die unser Lied erfreut'? Wir wollen dennoch singen! So still ist's auf der Welt; Wer weiß,die Lieder dringen Vielleicht zum Sternezelt. Wer weiß,die da gestorben, Sie hören droben mich, Und öffnen leis' die Pforten Und nehmen uns zu sich. |
なあ、いとしい忠実なリュートよ、 いかに多くの夏の夜を 朝の光が白むまで お前と共に明かしたことだったろう! 谷は、また夜になる、 まだ夕焼けが戯れているうちに、 だがわしらと共にかつて目を覚ましていた奴らは とうに死んでしまった。 ではどんな歌を歌おうか ここでひとりきりで、 みんながわしらの許から逝ってしまった今になって、 わしらの歌を喜んでくれた奴らが。 それでも歌おうじゃないか! この夜はこれほど静まり返っている。 誰が知ろう、この歌が ひょっとして星々の天幕に届いていると。 誰が知ろう、死んだ奴らが あちらでわしの歌を聞いていて そっと門を開けて わしらを引き取ってくれると。 |
若きヴォルフもこの詩に感動的な曲を付けているが、シェックは一層素直に心に訴える作品に仕上げた。1905年から1914年作曲の「14の歌曲(14 Lieder)Op.20」の最後に置かれている。すでにこの世にない友人たちに向けた老人の哀悼の歌である。そしてリュートという相棒を奏でながら、友人たちの世界の門が開かれるのを今か今かと待ち焦がれている境地なのだろう。リュートのつまびきのような単純な分散和音がこれほど胸にしみるのはシェックの才能だろう。感傷すれすれかもしれないが、F=ディースカウのような人が歌うと実に真実味を帯びて心に響いてくる。
F=ディースカウDietrich Fischer-Dieskau(BR)&ヴェーバーMargrit Weber(P):DG:1958年4月:シェックと同じスイス人のヴェーバー女史(1924〜)と共に親密な雰囲気でそっと語りかけてくれるようだ。
テュラーNiklaus Tüller(BR)&ケラーChristoph Keller(P):ACCORD:1987年:テュラーはうまさで聴かせるタイプではないが、飾らない真摯さに何故かとても惹かれる。ケラーは歌の起伏を立派にサポートしている。
プライHermann Prey(BR)&ヴァイセンボルンGünther Weissenborn(P):PHILIPS:1974年12月:最初のうち軽く抑え気味だったのが、第3節以降から徐々に感情があらわになってきて、第4節以降の全力ぶりでいつものプライらしくなる。持ち前の暖かく包み込むような声がなんとも魅力的。ヴァイセンボルンの土台もしっかりしている。
( 2005.07.18 フランツ・ペーター )