Der Fischer Op.3-3 5 Lieder |
釣り人 5つの歌曲 |
Das Wasser rauscht',das Wasser schwoll, Ein Fischer saß daran, Sah nach der Angel ruhevoll, Kühl bis an's Herz hinein. Und wie er sitzt und wie er lauscht, Teilt sich die Flut empor; Aus dem bewegten Wasser rauscht Ein feuchtes Weib hervor. Sie sang zu ihm,sie sprach zu ihm: Was lockst du meine Brut Mit Menschenwitz und Menschenlist Hinauf in Todesglut? Ach wüßtest du,wie's Fischlein ist So wohlig auf dem Grund, Du stiegst herunter wie du bist, Und würdest erst gesund. Labt sich die liebe Sonne nicht, Der Mond sich nicht im Meer? Kehrt wellenatmend ihr Gesicht Nicht doppelt schöner her? Lockt dich der tiefe Himmel nicht, Das feuchtverklärte Blau? Lockt dich dein eigen Angesicht Nicht her in ew'gen Tau? Das Wasser rauscht',das Wasser schwoll, Netzt' ihm den nackten Fuß; Sein Herz wuchs ihm so sehnsuchtsvoll, Wie bei der Liebsten Gruß. Sie sprach zu ihm,sie sang zu ihm; Da war's um ihn geschehn: Halb zog sie ihn,halb sank er hin, Und ward nicht mehr gesehn. |
水がざわめき、膨らんだ。 一人の釣り人が座りこみ、 平然と竿を見つめていた、 心の底まで冷えきって。 彼が座って、耳を澄ましていると、 水は盛り上がって、二つに割れた。 波立つ水から音立てて、 濡れた女が現れた。 女は彼に歌いかけ、語りかけた。 どうしてあなたは、私の仲間達を 人間共の機知や策略で誘き寄せて、 死に至る灼熱の地上に引き上げようとするのですか。 ああ、魚達が 水底でどれほど快適か御存知ならば、 あなたも下りて行って、 ようやく健やかになるでしょうに。 お日様も、月も、 海の中で元気を取り戻すではないですか。 波を吸って、お日様の顔が 倍も美しくなって、帰って来るではないですか。 底深い蒼穹があなたを呼んでいませんか、 水気を帯びた、抜けるような青さが? 水鏡の御自身のお顔が 永遠の露の中へと誘っていませんか? 水がざわめき、膨らんで、 彼の裸足を濡らした。 彼の心は憧れに膨らんでいた、 恋人に挨拶される時のように。 女は彼に語りかけ、歌いかけた、 あなたはもうおしまいよと。 半ばは女に引かれ、半ばは自ら沈み行き、 もはや彼の姿は見られなかった。 |
この有名なゲーテの詩は1778年に書かれたが、この年の1月17日に恋煩いのためにイルム川に入水自殺を図ったクリスティアーネ・フォン・ラスベルクの事件がきっかけになったと推測されている。彼がこの事件についてシャルロッテ・フォン・シュタインに宛てて書いた手紙によると「心を引きつけるこの悲しみは、水そのものが持っているような何か危険な魅力がある。そして悲しみと水の両者が空の星の輝きを照り返す様が、我々を魅了するのだ」(1778年1月19日付)という。また、後に(1823年11月3日)ゲーテ自身が語った言葉によると、このバラードで彼が表現したかったのは単に「水の感覚」であり、それは「夏、我々に水浴びしたいという気持ちを喚起する優美さ」だという。彼の言葉どおりならば、自然を貪る人間への戒めという教訓的なものではなく(結果的にそういう要素が生じたということは言えるとしても)、専ら水のもつ妖しい魅力を描き出そうとしたのだろう。
詩の内容は、第1節と第4節が物語の進行を叙述する部分、そして中間の第2、3節は水中から現れた女が釣り人に語りかける部分で、両端節の枠の中に「優美さ」の象徴としての女の言葉が挟まれている形になっている。
この曲はヴォルフの「Op.3」の第3曲にあたり、第1、2曲同様1875年8月以前、ヴォルフ15歳の作品である。ヴォルフ以前にも数多くの作曲家の作曲意欲をかきたてている。シューベルト(D. 225)とレーヴェ(Op. 43-1)の作品が中では有名だが、シューマンもR.シュトラウスもヴォルフ同様若書き時代にこの詩に作曲しているのが興味深い。水から現れた女は希望にあふれた若き作曲家たちの心までも捉えてしまったということだろうか。
ヴォルフは四分の四拍子、ハ短調、速度表示なしの長大な前奏、後奏を伴った劇的な作品を作り上げた。ピアノパートは右手の細かいトレモロと左手の変化に富んだ急速なパッセージで水のうねりを描写し、一方の歌声部はたっぷりと長めの音価でゆっくりした印象を受ける。歌は詩の内容に細かく反応するよりは音楽としての流れを重視したもので、第3〜4行で長調に転調する箇所も内容的な必然性はないように思われる。詩句の繰り返しも内容よりも音楽上の体裁を整える為の処置と思われる。全集楽譜では第1節しか掲載されていないが、ヴォルフの自筆譜を見ると、最終小節にリピート記号(点2つ)がはっきりと付けられており、ヴォルフ自身が全4節の有節歌曲として考えていたことは明らかである。どの節も各行の音節数や韻律(弱強格)が同じなので、ヴォルフの自筆譜に第1節しか書かれていなくても第2節以降を歌うことは可能である。ただ、ヴォルフは第1節の単語の切れ目に休符を入れてあるところが他の節では単語の途中という箇所があるので、休符の臨機応変な処置が必要である。結局、第1節だけでヴォルフが情熱をすべて注ぎ込んでしまった為、他の節を付け加える余力がなく、辻褄合わせにリピート記号で有節歌曲にしてしまったというのが本当のところかもしれない。バラーデとして話が展開していくこの詩の場合、第1節だけ歌ってもほとんど意味がないので、演奏時はやはり有節歌曲として扱うべきであろう。
なお、第1節第3行の”nach der Angel”はゲーテの原詩では”nach dem Angel”だが、ゲーテの時代は”Angel”は男性名詞だったそうで、ヴォルフが”der”に変更したのは彼の時代にはすでに女性名詞になっていたのであろう。第1節第4行の”hinein”はゲーテの原詩では”hinan”。また、全集楽譜では同じ行の”Kühl bis an's Herz hinein”の”an's”を”ins”にしているが、ヴォルフの自筆譜では2回繰り返して出てくるうちの1回に”ins”、もう1回は”an's”となっており、前者は単なる書き間違いと思われる(”an's”で歌われるべきだろう)。
この曲も現在録音はないものと思われ、前曲同様、ロッキー・チョンLocky Chung(BR)&松川儒(P)の実演(2004年10月26日、浜離宮朝日ホール)で初めて音として聴くことが出来た。この若書きから緊張感みなぎるドラマを引き出した彼らはやはり非凡な才能に違いない。ただ第1節しか歌われなかったのは、全集楽譜に拠ったのであろう。
( 2005.07.18 フランツ・ペーター )