へんな心 |
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株がさがる 株がさがる 小気味よくも 株がさがる 成金どもが 泣いて狂ひ 首くくるも 因果応報 株がさがる 株がさがる 小気味よくも さがるよ あーーーあ さがるよ 命がけで 乗ろとしても 乗れぬ電車 いやな電車 故障電車 停電電車 サボリ電車 改良するは いつのことか 改良もせずに 値上げばかり 困るよ あーーーあ 困るよ 田尻さんや 田尻さんや 東京市内 到るところ 塵芥(ごみ)の山だ ゴミの山だ どうかせぬか 田尻さんや コレラコレラ 怖くないか おいら怖い 怖いよ あーーーあ 怖いよ |
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堀内敬三の名訳「風の中の羽根のように」で知られ、大正時代に一世を風靡したヴェルディのリゴレットよりマントヴァ公のアリア「女心の歌」。演歌師・添田唖然坊はこのメロディに堀内詞をパロった歌詞をつけてこんな世相を歌にしました。大正はじめの特需バブルの時代に、それだけ浅草オペラで歌われた歌が広く人口に膾炙していたということを示す興味深い事実だと思うのですが、この前の昭和バブルの時期にも、金に糸目を付けずに海外の著名オペラハウスを呼んできた空前のオペラブームがあったことを思い起こすと感慨深いものがあります。
他にも唖然坊はビゼーのカルメンより闘牛士の歌や、これは元歌の方も最近は歌われないようですがオーベールの歌劇「フラ・ディアボロ」のアリア「岩にもたれた 物凄い人だ(これも堀内敬三訳)」を「慾に限りなき 物凄い人は 石を缶詰に 入れて儲け」ともじったりして、元歌を知る者には思わずニヤリとさせるような良い出来栄えの曲をいくつも作っています。
「現代節」で歌われていたような成金たちが跋扈していた第一次世界大戦の特需が終わるとバブルがはじけ一気に不景気になりました。貧乏人にとっては株が下がって彼ら成金が困るのは小気味良い気持ちで眺められたのでしょうが、このあとやがて庶民の暮らしも厳しくなっていきます。
この経済の苦境からの脱却がやがて中国への侵略や満州国建国へと繋がっていくのですが、これに関してはまた改めて見てみましょう。
2番で歌われるのは東京の市電のことでしょうか。同じ頃歌われた添田さつきの「東京節(パイのパイのパイ)」でも「東京の名物満員電車 いつまでたっても来やしねえ」とうたわれており、けっこう東京市民の間でも関心の高かったことが窺われます。
3番で呼びかけられている田尻さんというのは、当時の東京市長であった田尻稲次郎(1850〜1924) のこと。彼は大蔵省出身で会計学や財政学の学者としては一流の人であったようですが、政治家として人心を掴むことには慣れていなかったようです。米不足に際しても「貧乏人は豆粕を食え」といわんばかりの代用食普及を推し進めたりして相当不人気であったとか。
実はこの「へんな心」歌詞はまだまだ続くのですが、このあとはずっとこの田尻さんへの個人攻撃です。
(蛇足ですがこの田尻さんのあとの東京市長が、震災のときの大復興計画で有名な後藤新平です)
なんだかこのあたりの歌を詳しく紐解きながら昭和のはじめにいくと物凄く怖い世界が待っていそうなのですが(あまりにこの大正末〜昭和初め頃が今の世相と似ているので、それが戦争の時代へとなだれ込む動きが再トレースできてしまいそう...)、歴史に学ぶことで何とか同じことは繰り返さないようにすることがとても大事なのではないでしょうか。少しずつ取り上げて行こうと思っています。
この曲、作曲家別のリストでヴェルディのところに入れるかどうか迷ったのですが、彼の曲であることに間違いはないので入れることにしました。また著作権上の扱いもややこしいのですけれども(まだ著作権の生きている堀内敬三詞のパロディなので、作者の唖然坊の著作権としては切れているはずですが翻案権に引っかかるかも?)、堀内氏の著作権者の方があまり野暮なことは言ってこないことを期待して歌詞の一部を掲載させていただきました。googleで検索してもこの歌を取り上げているサイトは他に1件しかなかったので、こんな貴重な文化遺産を埋もれさせているのはあまりにもったいないと思いましたし。
( 2005.06.29 藤井宏行 )