L'invitation au Voyage |
旅へのいざない |
Mon enfant, ma soeur, Songe a la douceur D'aller la-bas vivre ensemble, Aimer a loisir, Aimer et mourir Au pays qui te ressemble. Les soleils mouilles De ces ciels brouilles Pour mon esprit ont les charmes Si mysterieux De tes traitres yeux, Brillant a travers leurs larmes. La, tout n'est qu'ordre et beaute, Luxe, calme et volupte. Vois sur ces canaux Dormir ces vaisseaux Dont l'humeur est vagabonde; C'est pour assouvir Ton moindre desir Qu'ils viennent du bout du monde. Les soleils couchants Revetent les champs, Les canaux, la ville entiere, D'hyacinthe et d'or; Le monde s'endort Dans une chaude lumiere! La, tout n'est qu'ordre et beaute, Luxe, calme et volupte. |
いとしい人 恋人よ 素敵なことを考えよう あの遠い国に行って二人で暮らすんだ! 気ままに愛し合い 愛して、そして死ぬのだ 君に似合ったその国で! 薄曇りの空にかかる ぼんやり光った太陽も そこでは僕にはとても魅力的だ ちょうど君の神秘的な 潤んだ不実な瞳が 涙を透かして輝いているように その国では、すべてが調和して美しく 華やかで、穏やか、そして楽しいんだ ごらん、運河の上 静かに眠る船たちを さすらいが彼らの天性なんだ 君のささやかな 願いを満たすため 世界の果てからやってきたのだ ??沈む太陽が 野原を染める 運河も、町もすべて あかね色と金色に染める そして世界は眠りにつく 暖かなその光に包まれて その国では、すべてが調和して美しく 華やかで、穏やか、そして楽しいんだ |
4万アクセスを記念して普段のマイナー路線から、たまには詩においても曲においても大作にひとつチャレンジすることにしました。名訳もたくさんある作品だけにいつものやっつけ仕事ではなく、言葉をじっくり吟味して見ましたが、私にはこれが限界です。さらに言えば原詩には「運河に」の前にもう1節あるのですが、デュパルクの歌曲では省略されていることもあり、またそこまで訳す気力が続かなかったので省略させて頂きました。
近代詩における巨人のひとりであるボードレールは、ヴェルレーヌがフランスの作曲家だったらそれこそ猫も杓子も曲を付けているのと対照的に、意外と歌曲になっていない詩人のひとりです。
(もっと少ないのがアルチュール・ランボーですが、これはまた別の機会に)
有名なのはドビュッシー、フォーレ、そしてこのデュパルクのものくらいでしょうか。結構歌曲にしても映えそうな素敵な詩がたくさんあるのですがなかなか歌曲になって聴くことができません。
(面白いのは現代作曲家が実験的な作品を作る際に、意外とこのボードレールの詩集「悪の華」からの詩を取り上げていることでしょう。これらもいずれ機会があればご紹介します...)
中では珍しく、この名詩「旅へのいざない」は多くの作曲家に取り上げられています。デュパルクのほかにもシャブリエ、また近代フランスのオペラ作曲家として名前の残っているギュスタフ・シャルパンティエやベンジャミン・ゴダールといった人たち、また面白いところではシャンソンのレオ・フェレなどがいるようです。
デュパルクのものはさすが有名なだけに、旋律の美しさ、情感の高まりと静かなささやきとのコントラストが見事です。
「あの遠い国に行って二人で暮らすんだ!」や「涙を透かして輝いているように」のところの爆発的な盛り上がりと、「その国では、すべてが調和して美しく華やかで、穏やか、そして楽しいんだ」のささやき、ただ、苦しいのは同じメロディが繰り返される第2節の盛り上がりが第1節と詩の方では一致していないこと。
節の切れ目もちょっと違いますし、そんな詩の構成がボードレールの詩が歌曲にはなりにくい原因かも知れません。
そんな細かいところはともかく、このロマンディックな歌は古今東西非常に多くの歌手たちによって録音されています。
スゼーやノーマンといったふくよかな声の人に似合いそうな濃厚な曲のような気もしていたのですが、今回まとめていろいろ聴いて感じたのは、むしろ繊細な声の人が歌った方が映える曲なのだなあ、ということ。
ソプラノでも古いところでニノン・ヴァラン(EMI)やシュザンヌ・ダンコ(INA)、テノールのポール・デレンヌ(Solstice)などがそれぞれ素敵な歌を聴かせてくれます。
バリトンのパンゼラ(EMI)やモラーヌ(Philips)も、テノールと見まがうばかりの高い声で、非常に魅惑的な表現です。
なんか昔の人ばかりになってしまいましたが、それだけ新しい良い録音がないということでしょうか。
最近はメゾやバス歌手が歌うことも多いのですが、どうしてもピンとこないのです。
作曲者自身がオーケストラ編曲したという版ではまだこれぞという録音を見つけていません。ロス・アンヘレス/プレートル・パリ音楽院管(EMI)なんかは良いかなと期待したのですが、いまいち弱々し過ぎで面白くありませんでした。
(これは解釈の問題かと。同じコンビでのデュパルクの「フィデレ」ではクライマックスの爆発が素敵ですから)
偏見かも知れませんが、非力な歌手が精一杯の表情を付けて歌ったときに、この歌はその魅力を最大に発揮するのかな、と
いう気がします(上に挙げた人達が非力な訳ではありませんが)。
(藤井宏行 2004.06.26)アクセス4万件記念投稿
( 2004.06.26 藤井宏行 )