ハイカラソング |
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詩:著作権のため掲載できません。ご了承ください
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「ゴールド眼鏡のハイカラは」と景気良く歌われるこの歌は明治42年頃、演歌師・神長瞭月によって歌われた歌です。
このハイカラさんが「都の西の目白台、ガールユニバーシテイの女学生」といえば今の日本女子大の学生、バイロン・ゲーテの詩を読み、ワセダの学生と「魔風恋風」のお付き合い...と続きます。
(「魔風恋風」:当時流行した小杉天外作の恋愛小説。お堅い人からは風紀を乱すと批判されていたらしい)
以下次々と
歩みゆかしく行き交う、跡見女学校の女学生
天女の如くささやく、音楽学校の女学生(今の東京芸大)
星かとまどうリットルレデー(Little Ladyのこと?)、学習院のスクールガール
独り野に咲く白菊、青山女学院のスチューデント
しなしなしなと出てくる、御茶ノ水高等女学校のスチューデント
リリー香高きドーター、日本女学院のスチューデント(今の相模女子大・戦災で移転した)
菫とまがふ御姿、虎ノ門高等女学校のスチューデント(今の東京女学館)
と、花の都で学ぶ女子学生たちの描写が続いていくさまは、まるで現代の男子学生向けタウン誌情報のようで圧巻。
学問の世界に進出してきた当時の意欲的な女性たちを、一面では褒めたたえ、また他方では冷やかすのは、今でもステレオタイプなことばかり考えるマスメディアは良くやっていますけれども、そのはしりとなるような作品でしょうか。
この歌を作って歌った神長瞭月という人は、ちょうどこの頃デビューした新進気鋭の演歌師だったのですが、それまではどちらかというと自由民権運動(オッペケペー節・ダイナマイト節)や戦意高揚(ロシャコイ節)など政治的な歌が多かった壮士演歌の世界に、この女学生モノで切り込み人気を博した人です。
デビュー作も「松の声(女学生堕落の歌)」という、向学心に燃えて上京してきた女学生が都で男にだまされ、最後は自殺してしまうという延々と長い歌物語(50番近くまであるらしい)。また「リパブリック賛歌」の替え歌で「ばらの歌」というまた乙女チックな詞の歌(小さい鉢の花ばらが あなたの愛の露受けて...)も作りヒットさせています。演歌の世界にヴァイオリンを初めて持ち込み、それをギコギコいわせながら歌うそのスタイルといい、まさに豊かになった日本のナンパ系芸人のパイオニアといっても良いでしょう。
なお、この歌はもともとはそういうわけで東京女学生名鑑といった風情の歌なのですが、やがて当時の若者風俗を織り込んで歌われるようになりました。
当時は自転車に乗るのがお洒落な趣味だったのだそうで、東京にも貸自転車屋がたくさんありました(高価だったので時間借が普通だったのだとか)、その様子を描写している歌詞がやがて有名になったことから、「自転車節」という名前で呼ばれることもあります。
またこれとは別に男子学生や書生のバンカラぶりを描写した歌詞もつけられていますが、これはどうせ皆さん興味ないですよね。
1970年の半ば頃まで生きた神長のこの歌は作者自身が吹き込んだLPの録音としても聴くことができます(CDにも復刻されています)。80歳にもならんかという年齢にしては朗々とした声で歯切れ良く歌われて実に見事。
他方現代の若手ミュージシャンも意外なことに結構取り上げていて、関西のロックバンド、ソウルフラワーユニオンの別働隊ソウルフラワー・モノノケ・サミットのインパクト溢れる歌。あるいはチンドン屋のスタイルを現代に生かすアダチ宣伝社(という名のバンドです)の洒落っ気溢れる歌(なぜか男女のデュエットでハモっていてちょっと不思議)などが新しい録音として聴けます。
いずれも面白い演奏です。
確かに歌詞が今に通じるところがあるので、若手でも取り上げてみたくなるような歌なのでしょうか。
面白いといえばこれより更に10年ほど前、明治30年ころに歌われたこの歌。たぶんこちらはさすがに著作権は切れていると思うので載せてみましょう。日清戦争の頃に歌われた「欣舞節」という壮士演歌の節に乗せて歌われたこの曲。今から100年も前の歌ですが詞の中身には思わず微笑んでしまいます。
描写される方もそしてイチャモンをつける方も、時代を経ても変わらないものは変わらないのですねぇ。
女学生(欣舞節)
かよわき女の身ながらも 馴れし故郷ふり捨てて
学びの道にたどり入る 心雄々しき女学生
目的(こころ)は殊勝(けなげ)に見ゆれども 今の風俗歎くべし
奇麗は女の身だしなみ などと理屈を無理につけ
朝夕(ちょうせき)化粧に時間を潰し 束髪頭にばらの花
飾りて出(いず)る校堂に 喋々喃々(ちょうちょうなんなん)おしゃべりの
問題(だい)は男教師(きょうし)の品評(しなさだめ)
女大学読むよりも 恋愛小説面白く
抹茶挿花の風雅より 三味線爪弾なんかとしゃれて
下宿の二階に立て籠もり 酒も呑むべし花合せ
俳優(やくしゃ)の写真に浮身をやつし
博愛仁義の道を説く 基督教者の集まりも
男女同権飛び超えて 結婚自由の見合場所
松の緑に比較(くら)ぶべき 清き操も打忘れ
親の許さぬいたづらに 耽る少女の行末は
思いやるだに長大息 キンボキンボキンボ
(明治30年代 酔郷学人詞)
( 2005.06.10 藤井宏行 )