真の技術者 |
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並べる機械の中に立つ 我等が衣は破れたり 夜昼動かす手と足は 油と塵に汚れたり 学力浅く官位なく 富もなければ名もあらず されど飽食暖衣して 心は平和に満たされぬ 廻る車のたゆみなく 右と左に争はで 勤勉事に忍びなば 成功つひに身に落ちん 頼めや我なす事毎に 誠の一字を守りつつ 鞴(ふいご)の音も槌音も 天に響かん其の時を |
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明治も40年代ともなると日本の唱歌教育も相当定着してきて様々な歌が作られ歌われるようになりました。ただ歌うだけではなくて、道徳教育や地理・歴史教育にも使えるような歌が次々と出てきており、例えばあの延々と各地の風物を歌っていく「鉄道唱歌」やら、歴史上の出来事を歌にした「ウオターロー」や「児島高徳」など本当に面白い歌がたくさんあります。
エンジニアの端くれである私としては、殖産興業の最前線を担った明治の技術者たちがどのような心意気で生きていたのかには大変興味があるのですが、偶然こんな歌(唱歌?)を見つけたのでご紹介します。この歌、明治41年に日本全国の工業学校の校長会議で選定された工業学校の歌のひとつなのだそうで、他に「技術の力」「工業の花」に「文化の恩人」という3曲、いずれも作詞:大和田建樹・曲:田村虎蔵のコンビです。
ホワイトカラーのインテリ官吏やら、当時は存在した華族様などなんのその、勤勉に技術を磨き精進すれば「飽食暖衣して 心は平和に満たされぬ」と、今に至るも決して恵まれているとは言いがたい「理系」人間の心意気を歌います。時まさに日本も重化学工業にと踏み出し始めた時期(官営八幡製鉄所の操業が明治34年です)、今以上に技術者の仕事には張り合いと誇りがあった時代なのでしょうか。
もう一曲、「文化の恩人」という歌も当時の唱歌の特徴を色濃く出していて面白いのでここに歌詞を載せます。何で最後に左甚五郎なのか?ちょっと不思議な人選ではありますが...
文化の恩人 詩:大和田建樹 曲:田村虎蔵
かぶせし蓋を押し上げて 沸き立つ湯気の力より
いく年月の辛苦経て 蒸気機関を発明し
不抜の功を奏したる ワットは世界の大偉人
父は炭鉱火夫たりし 貧家の内に身を起し
ただ熱心と勉強と 鉄道事業の発明に
不朽の名誉を博したる スチブンソンは世の恩者
貧賎その身を玉成し 製し出だせる機織機
リヨンの都を風靡して 時の帝に皇后に
知遇を得たるジャックハード 天下の志士の好模範
身は鉄道の小ボーイ 実験室を我部屋に
つくりて研きし学成りて 発明遂げたる電燈の
めぐみを遺すエヂソンは 地球を照らす光なり
わがたのしみは貧しきに ありと歌いて里人の
笑ふも知らず顧みず 一心刀を手に執りて
彫刻つとめし甚五郎 「左」の名こそ八千代なれ
( 2005.05.19 藤井宏行 )