When Johnny Comes Marching Home Again |
ジョニーが凱旋するとき |
When Johnny Comes Marching Home Again, Hurrah! Hurrah! We'll give him a hearty welcome then Hurrah! Hurrah! The men will cheer and the boys will shout The ladies they will all turn out And we'll all feel gay, When Johnny comes marching home. The old church bell will peal with joy Hurrah! Hurrah! To welcome home our darling boy Hurrah! Hurrah! The village lads and lassies say With roses they will strew the way, And we'll all feel gay When Johnny comes marching home. Get ready for the Jubilee, Hurrah! Hurrah! We'll give the hero three times three, Hurrah! Hurrah! The laurel wreath is ready now To place upon his loyal brow And we'll all feel gay When Johnny comes marching home. |
ジョニーが凱旋して帰ってくるときには フラー! フラー! 心からの歓迎で迎えよう フラー! フラー! 男たちは喝采し、子供たちは叫ぶ 淑女たちもみな表で出迎えるだろう みんな朗らかな気持ちになる ジョニーが凱旋して帰ってくるときには 古い教会の鐘も喜びに高鳴る フラー! フラー! ふるさとに戻ってきた勇者を歓迎して フラー! フラー! 村の若者も乙女たちも 道にバラを撒きながら みんな朗らかな気持ちになる ジョニーが凱旋して帰ってくるときには 祝宴の準備をしよう フラー! フラー! ヒーローを3度、万歳三唱して迎えよう フラー! フラー! 月桂樹の冠を用意して 彼の頭にかぶせよう みんな朗らかな気持ちになる ジョニーが凱旋して帰ってくるときには |
モートン・グールドの勇壮な管弦楽曲「アメリカン・サリュート」のテーマとして、あるいはスタンリー・キューブリックの初期の傑作映画「博士の異常な愛情」の中で、発狂した米軍司令官に戦争だと騙されてソ連に水爆を落としに行く爆撃機のテーマとして印象的に使われているこの曲ですが、実は南北戦争のときに北軍の帰還兵を迎える歌として作られたものなのだそうです(1863)。アイルランド民謡で「Johnny I hardly knew ye(ジョニー、私はあなたが分からない)」というのがあり、どうもこれを本歌取りしているようなのですが、実はこの歌とはメロディが全く一緒と言っても良いほど酷似しています。もっともこちらはジョニーが凱旋して帰ってくる話ではなく、手足をもぎ取られた無惨な体となって妻子の元に戻ってくるのを残された妻が嘆く歌。凱旋の歌なのに悲壮感が溢れるのはそんな出自から来ているのでしょうか。この悲しい歌の方はアイルランドのトラッド歌手がしみじみと歌っているのがいくつか聴けますのでこれも探してみても良いかも知れません。いずれアイリッシュ音楽特集でもやる時にはこちらの方の訳も取り上げてみましょう。
(いろいろ調べてみると、この「凱旋するとき」の方が元だという説もあり、どうもまだ良く分かっていないところもあるようです。ただいずれにしてもアイリッシュ起源であることは間違いないようで、知られていないさらに別の元歌があるのかも知れません)
そんな歴史もあってか、英米圏ではジョニーといえば戦場へいく若者の代名詞になっているかの感があり、ジョニー・戦争、あるいはジョニー・戦場といれてWEB検索すると物凄い数が引っかかります。有名な映画に「ジョニーは戦場に行った」というのもありましたね。クルト・ワイルにもアメリカ時代の反戦ミュージカル「ジョニー・ジョンソン」っていうのが確かありました。もっとも実は南北戦争当時は「ジョニー」というのは南部兵の愛称だったのだそうで(ちなみに北部兵は「ヤンキー」)、そんなことからこの曲は南軍の軍歌だ、としているサイトも検索してみると日本では結構ありました。
作者のパトリック・ギルモア(1829-1892)は北軍の軍楽隊長だった人のようです。有名な行進曲王スーザの先達として、アメリカの軍楽隊の基礎を作った人として歴史に名を残しているようですが、彼はアイルランド出身だったので故郷の民謡のフレーズを生かしてセレモニーに使ったのがこの歌として残ったということだと思います。フラー・フラー(万歳・万歳。応援に使われる「フレー・フレー」もこの言葉から)と威勢の良い曲想ですがメロディーは短調なので悲壮感の強い音楽で、古関裕而氏作の戦時歌謡の名曲「露営の歌(勝ってくるぞと勇ましく)」や「暁に祈る(あゝあの顔であの声で)」などの雰囲気を思わせます。日本人に意外とこの曲のファンが多いのもそんなところにあるのでしょうか?
またその辺の勇ましさと悲壮感のバランスが、映画のシーンにクラシック音楽を絶妙に配することでは天才的だったキューブリックが「博士の異常な愛情」のBGMにぴったりだとピンときたのかも知れません。確かに死を賭して無意味なことをやらされることほど悲しいことはないですから。
南北戦争のような内戦は、全く文化や歴史の違う他国との戦争以上に悲しい戦いのような気がします。「裏切り者」とかレッテル貼りをしていくら戦意を高揚させても、ついこの間までは同胞であった人たちと戦うわけですから。そういう意味では私たちの隣国にも、ついこの間これと同じような不幸な内戦をせざるを得なかった国がいくつもあります。そういった状況に思いを巡らし、こんなことが二度と起きないようにするにはどうすれば良いのか? それを考えるにはやはり歴史に学ぶことはとても重要ですね。南北戦争を歌だけでなく、歴史まで広げて調べたことは私にとってとても良かったです。その昔明治維新の時には内戦のようなことはありましたが、今のこの日本では「戦争」というものさえイメージできないのにましてや「内戦」という状況など。でも想像力の欠如はときにとんでもなく愚かな道に迷い込んでしまうことだってあります。SFめいてきますが日本でも今の中央と地方の利害対立は、このまま放っておくと内戦に至るような決定的な利害対立にだって至らないとは限らないわけで。
たかが音楽を聴く、だけのことですが、そんなところにまで思いを巡らせてしまいました。
( 2005.03.20 藤井宏行 )