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Sladko pel dusha solovushko   Op.36-1  
  Shest' romansov
やさしく歌ってた、私のナイチンゲールよ  
     6つのロマンス

詩: ラジェーチニコフ (Ivan Ivanovich Lazhechnikov,1792-1869) ロシア
      Сладко пел душа?соловушко

曲: グリエール (Reinhold Gliere,1875-1956) ロシア   歌詞言語: ロシア語


Sladko pel dusha solovushko
V zelenom moem sadu;
Mnogo,mnogo znal on pesenok,
Slashche ne bylo odnoj.
Akh! ta pesn’ byla zavetnaja,
Rvala belu grud’ toskoj;
A vse slushat’ by khotelos’,
Ne rasstalas’ v vek by s nej.

Vdrug podulo so polunochi:
Budto na serdtse legla snegovaja
Nepogodushka i moj sadik zanesla.
So togo li so bezvremen’ja
Opustel zelenyj sad,
Mnogo ptashek,mnogo pesen v nem,
A vse miloj ne slykhat’.

私の緑の庭でやさしく歌っていたナイチンゲールは
私の緑の庭の中
たくさん、たくさん歌を知っているけれど、
彼ほど優しく歌えるものはない
ああ、この歌は心に響く。
胸がしめつけられるようだ。
このままずっと聞いていたかった。
ずっと離れたくはなかった。

だが、夜中に突然風が吹いたとき、
庭に降り積もった真冬の雪の上に
嵐は鳥の死をもたらした
そのときから、いつ何時であろうと
私の庭はからっぽだ
今でも歌はたくさん聞けるけれど
だが、あの素晴らしい歌はもう聞けないのだ。


1870〜80年代に生まれたロシアの作曲家はロシア革命(1917)の影響をもろに受けて、海外に亡命したラフマニノフ(1873生)やストラヴィンスキー(1882生)などを除くとあまりぱっとした評価を受けていない人が目立ちます。ちょうど彼らの作曲の脂の乗り切った時期に芸術・文化に対する要求が革命によって極端に変り、それに対応するためにスタイルに混乱を来したり、スタイルは一貫していても聴く側が変な誤解をしていたりということで、これより前の「ロシア音楽」世代とも、あとの「ソヴィエト音楽」世代ともつかない中途半端なポジションになってしまったのがその理由でしょうか。
そんな典型的な作曲家がこのラインホルト・グリエールではないかと私は感じています。バレエ「赤いけし」や交響曲「イリア・ムローメッツ」などの作品で知られている彼は、私の耳で聴くとムソルグスキーやボロディンなんかの音楽の継承者としてコテコテのロシアンメロディー満載なのですが、題名のソヴィエトっぽさに惑わされてかあまりロシアの伝統音楽の流れでこの作曲家を聴く人はいないように思いますし、逆に「赤いソヴィエトの革命的音楽」を期待して聴く人はこの人の音楽には完全な肩透かしでしょう。

そんなこんなで録音も非常に少ないグリエールの、しかも歌曲集がよもやイギリスのコニファーレーベルから出ているとは露知らず、これを偶然に見つけたときは非常に嬉しい驚きでした。しかも美しい声のソプラノ、Elena Prokinaの歌で32曲も聴けるのです。
聴いての印象は、ロシア歌曲の知られざる逸品。ムソルグスキーやボロディンあたりの素朴な歌曲をそのまま精緻にしたような、あるいはチャイコフスキーやアレンスキーの美しいメロディをそのまま継承したような、つまりロシア歌曲黄金時代のショーウインドウのような素敵な作品群でした。
このCDの冒頭におかれているこの曲は、ムソルグスキーの歌曲のようなごつごつとした民謡調。
涙が出てくるような典型的なロシアのコブシが効いています。
失ってしまった恋を、もう聞くことのできないナイチンゲールの歌声になぞらえているのでしょうか。
アリャビエフに始まる典型的なロシアのナイチンゲールの歌です。

ロシア歌曲のお好きな方には絶対のお薦め。私も歌曲ばかりでなくグリエールの音楽をもう少し探してみたくなりました。

( 2005.02.19 藤井宏行 )


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