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Wandl’ ich in dem Morgentau    
  Alte Weisen. Sechs Gedichte von Gottfried Keller
朝露の中、歩いていると  
     古き調べ:ゴットフリート・ケラーの6つの詩

詩: ケラー (Gottfried Keller,1819-1890) スイス
    Neuere Gedichte - Vermischte Gedichte - Alte Weisen 8 Wandl ich in dem Morgentau

曲: ヴォルフ (Hugo Wolf,1860-1903) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Wandl’ ich in dem Morgentau
Durch die dufterfüllte Au',
Muß ich schämen mich so sehr
Vor den Blümlein rings umher!

Täublein auf dem Kirchendach,
Fischlein in dem Mühlenbach,
Und das Schlänglein still im Kraut,
Alles fühlt und nennt sich Braut.

Apfelblüt' im lichten Schein
Dünkt sich stolz ein Mütterlein;
Freudig stirbt so früh im Jahr
Schon das Papilionenpaar.

Gott,was hab' ich denn getan,
Daß ich ohne Lenzgespan,
Ohne einen süßen Kuß
Ungeliebet sterben muß?

朝露の中、
もやの立ちこめた草地を歩いていると、
私はとても恥ずかしくて仕方なかった、
あたり一面の花々の前で。

教会の屋根にとまっている鳩も、
水車屋の小川にいる魚も、
草むらにじっとしている蛇も、
皆いいなずけであることを自覚し、自称しているのだ。

明るい光のあたる林檎の花は、
母親であることを誇りに思い、
年のこんな早い時期にもう、喜んで
蝶のつがいが死んでいく。

神よ、私は一体何をしたといえるのでしょうか、
春を共に過ごす者もなく、
甘いくちづけのひとつもないまま
愛されずに死んでいかなければならないとは。


この詩はケラーの<古き調べ>では8番目に置かれている(<女性について>では「赤いベルプヒェン」(Das rote Bärbchen)という女性名が付けられて、11番目に置かれている)。
朝の散歩中にみかける鳥や魚や植物などがみな愛する伴侶をもっているのに対して、私だけが愛を知らぬまま一生を終えるのだろうかという感傷的な内容である。
ヴォルフの音楽は朝もやのかかる中を散歩する気持ちよさを感じさせるピアノの前奏で始まるが、花々に囲まれて恥ずかしい思いにとらわれる箇所で歌声部はうわずったような高音の揺れを聴かせる。歌は愛に満ちた生き物たちの幸せそうな描写をつとめて冷静に語ろうとするが、ただ一人愛する相手のいない自分の切なさがにじみ出てしまう。最終節で神にわが身の不幸を嘆き訴える箇所にヴォルフは重点を置いたが、前からの一見穏やかな空気の流れを引き継ぎながら、半音階の下行進行で、私は何をしたのだろう、と語り、3行目の、甘いくちづけの一つもなく、で気持ちが高ぶったかのような高音が続き、最後の1行は疑問文にもかかわらず、下行して終わり、諦めのムードを漂わせて締めくくる。
詩の背景のさわやかさと、対照的な一人孤立したかのような女性の内面の対比を見事に写し出したヴォルフの力作と言えるのではないか。

シュヴァルツコプフ(S)ムーア(P):1961年1月:シュヴァルツコプフの、魂に響く音色の見事さに思わず吸い込まれてしまう。この種の曲で聴かせるムーアの歌心はいつもながら素晴らしい。
アーメリング(S)、ヤンセン(P):1981年6&8月:最終節の神に訴えるくだりの表現が心に迫ってくる。
ヴァレンテ(S)レイム(P) :1985年7月:クリーミーな美声だが、はかなげな悲哀感がにじみ出ていてとても良かった。

( 2005.01.22 フランツ・ペーター )


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