TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ


Am Walde   Op.62-4  
  Das Holdes Bescheiden
森で  
     歌曲集「善き慎み」

詩: メーリケ (Eduard Friedrich Mörike,1804-1875) ドイツ
    Gedichte  Am Walde

曲: シェック (Othmar Schoeck,1886-1957) スイス   歌詞言語: ドイツ語


Am Waldsaum kann ich lange Nachmittage,
Dem Kukuk horchend,in dem Grase liegen;
Er scheint das Tal gemächlich einzuwiegen
Im friedevollen Gleichklang seiner Klage.

Da ist mir wohl,und meine schlimmste Plage,
Den Fratzen der Gesellschaft mich zu fügen,
Hier wird sie mich doch endlich nicht bekriegen,
Wo ich auf eigne Weise mich behage.

Und wenn die feinen Leute nur erst dächten,
Wie schön Poeten ihre Zeit verschwenden,
Sie würden mich zuletzt noch gar beneiden.

Denn des Sonetts gedrägte Kränze flechten
Sich wie von selber unter meinen Händen,
Indes die Augen in der Ferne weiden.

草に寝そべり郭公の鳴き声を聞いていれば
森のはずれで午後の間ずっとでもいられる
その嘆きの歌は調和に満ちて響き
谷を緩やかに揺すり寝かし付けるようだ

ここは素敵だ 世間がしかめっ面で
わたしに強いる苦役も
ここまで攻め立てては来ないし
思うがままにしていられる

詩人がどのように美しく時間を浪費するものか
考えをめぐらす上等な人たちがいるならば
ついには私をもっと羨むことだろう

なぜなら私の手の下ではひとりでに
ソネットのしっかりした花輪が編まれてゆくのだから
眼は遥かな景色を愛でているというのに


カッコウ(郭公)独名”Kuckuck”はほぼ全世界に分布するカッコウ科カッコウ目の総称。わが国でホトトギスと呼ばれるのはこの鳥の一種です。その別名「閑古鳥」は、商店などの来客が閑散としている様を「閑古鳥が鳴く」と表現して今日でも広く使われますが、これはこの鳥が人里離れた山奥で鳴くことから言われるようになったものだそうです。
この詩におけるカッコウは正に「閑古鳥」ですね。またこの詩は、メーリケが牧師をやっていたころ説教をするのが億劫なのでもっぱら副司祭に任せて自分はそとで横になって詩作をしていたというエピソードを想い起こさせます。結局そのために失職するのですが・・・。
シェックの作曲は密やかで繊細、この引きこもりのような詩人に共感豊かな曲をつけています。演奏はボストリッジがはまり役でしょう。

( 2004.12.24 甲斐貴也 )


TOPページへ  更新情報へ  作曲者一覧へ