Walt Whitman |
ウオルト・ホイットマン |
Who goes there? Hankering,gross,mystical and nude; How is it I extract strength from the beef I eat? What is man,anyhow? What am I? What are you? All I mark as my own,you shall offset it with your own; Else it were time lost a-listening to me. |
そこへ行くのは誰だ? 欲張りで、野蛮で、神秘的で、裸で 食べた牛肉から私はどうしてこんなに力が引き出せるのか? ともかく人間とは何だ? 私とは何だ? 君とは何だ? 私が書き残すすべての物に対して、君も君自身のものを書いて並べてみたまえ そうしないのなら私の言うことを聴くのは時間の無駄だ |
ウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」の中でも、前半にある非常に印象的なセクションが「私自身の歌」です。かなりアクの強い表現の詩が並んでいるのであまり歌曲にはなりにくいような気もするのですが、さすがアメリカの怪人作曲家チャールズ・アイブズはこの詩篇から1つ取り上げてこれまたインパクトのある歌曲に仕上げています。
最初の叩きつけるようなピアノの伴奏にもびっくりしますが、”Who goes there?”とぐさりと問い掛ける歌声、そして曲はアイブズのものらしく背後にキッチュなマーチや賛美歌のコラージュが見え隠れして曲想がころころ変り、そして1分足らずであっと言う間に終わってしまいます。
でもアイブズだからこそ、このアクの強い詩を料理できたところもありますね。
録音はいくつかのアイブズ歌曲集にあるようですがこれらは未聴(私の手持ちのアイブズ歌曲集は女声のものばかりなのですが、この詩、女性は歌うのに抵抗ありますよね)。私が聴いたのはトマス・ハンプソンの歌うホイットマンの詩による歌曲集(EMI)。伴奏のルーテンベルグ共々大熱演です。
詩の「mark」というのは必ずしも「書く」ことに限定はされませんけれども、誰にでも「書いて発信すること」だけは開かれたインターネット時代においても、多くの人にとっては相変わらず受身なようですのでここでは「書く」としてみました。アメリカの民主主義がそんな受動的な人々の存在によって堕落していくのを大きな苛立ちとともに歌ったホイットマンの嘆きは、100年以上経ってもまだ人間の大きな課題なのでしょうか。
( 2004.11.27 藤井宏行 )