O you whom I often and silently come where you are |
おお、私が時折静かに近付き、一緒に時を過ごしている君よ |
O you whom I often and silently come where you are that I may be with you, As I walk by your side or sit near,or remain in the same room with you, Little you know the subtle electric fire that for your sake is playing within me. |
おお、私が時折静かに近付き、一緒に時を過ごしている君よ 私が君のそばに歩みより、近くに座り、あるいは同じ部屋に君と一緒に留まったりする時に 君はほとんど知らないだろうが、君に感応してかすかな電気の火花が私の中で弾けているのだ |
アメリカの民主主義の詩人、奴隷制を始めとするあらゆる社会的不正義糾弾のプロパガンダ、旧来の詩の様式の破壊者、強烈な自意識と自己顕示etc...ウォルト・ホイットマンの20世紀知識人に与えた影響は多大なものがあるみたいです。日本でもまず夏目漱石によって紹介され、その後も幾多の文学者・知識人によって邦訳されて、昔の文学青年たちに愛読されていたのはご承知の通り(今どうかは知りません。教養というものが大事にされなくなりましたのでそもそも文学青年自体が絶滅しているかも)。
ただ歌のテキストにしようとすると、ここでご紹介したような韻律を破壊された様式の詩はちょっとやりにくいのでしょうか。多くの作曲家が1篇か2篇の詩をつまみ食い的に取り上げてはいるものの、それほど体系的に取り上げていることはない人のように思えます。
その中で例外的にたくさんの詩を取り上げて音楽にしているのは、最初の交響曲作品「海の交響曲」に彼の詩による合唱を印象的に散りばめたイギリスのヴォーン・ウイリアムス(他にもいくつかホイットマンの詩になる歌曲を書いています)、そしてお膝元のアメリカではこのネッド・ローレムあたりになるでしょう。特にローレムのこの詩人の取り上げ方はかなり気合が入っていて、全部で20数篇はあるでしょうか。
アメリカの現代歌曲の作曲家の中では日本でも比較的知られた人で、メゾソプラノのスーザン・グラハムが歌ったローレム歌曲集(Erato)は国内盤まで出たようですが、それでもあまり話題になっているのを聴いたことはありません。考えてみれば日本でこういったアメリカ圏のクラシック歌曲をレパートリーにしている人が大変少ないように思えますし、下手に手を出すと日本人は英語の発音にだけは耳が肥えているもんだからドイツ語やフランス語で歌うよりも突っ込みが怖い...というのもあるのかも。というのは穿ち過ぎにしても、このグラハムの録音やNaxosにあるこれもアメリカの名ソプラノ、キャロル・ファーレイの入れたローレム歌曲集など、安くて入手が容易なアメリカ現代歌曲作家の作品ですのでぜひ多くの方の耳にして頂ければと思います。
テニスンやこのホイットマンのような古い詩に付けた格調高い歌もあれば、現代のお洒落な詩に付けたポップスに近いような歌まであり、アメリカ歌曲の多彩さを楽しめます。
この詩は有名な詩集「草の葉」の中の菖蒲(CALAMUS)の一節、この菖蒲という詩(というよりもこれ自体が「草の葉」のサブ詩集をなしている)のテーマが他人との交感、この詩の部分だけ取り出すと異性愛の発露のようにも読めますが(ストーカーのひそやかなつぶやきのようにも読めてしまうかも)、もっと広い心の通い合いを表しているのだと思います。まだ当時珍しかった「electric fire」なんていう言葉も使いながら...
ローレムがこの曲に付けたのは、モノローグにぴったりの淡々とした3拍子の語り。1分足らずであっという間に終わってしまいますが、彼がホイットマンの詩に付けた曲の中でも非常に印象に残ります。
スーザン・グラハムの貫禄あふれるしっとり感、キャロル・ファーレィの軽やかな響き、どちらも素敵な演奏だと思います。後者のピアノ伴奏は作曲者自身なのも注目です。
( 2004.11.05 藤井宏行 )