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私の鶯    
  映画「私の鶯」
 
    

詩: サトウハチロー (Satou Hachiro,1903-1973) 日本
      

曲: 服部良一 (Hattori Ryouichi,1907-1993) 日本   歌詞言語: 日本語


  霧の宵も、雪の夜半も
  昔を偲んで歌うのは
  恋しい私の鶯か
  毎晩夢に見る

  聞け、雨の振る音
  聞け、風の音
  やがて冬は過ぎ、春がくる
  ライライライライ
  ああ

(詩は大意です)


日経新聞をお読みの方は、現在最終面で連載されている「私の履歴書」で、山口淑子さんが戦前の中国での女優時代、有名な「李香蘭」を名乗っていたころの思い出を綴られているところを興味深く見られているのではないかと思います。
「蘇州夜曲」の美しいメロディが使われた中国侵略のプロパガンダ映画「支那の夜」の逸話であるとか、中国人にとっても大ヒットした阿片戦争時の中国の英雄・林則徐を描いた「萬世流芳」などの話を私も興味深く見させて頂いているのですが、今日(8/16)の紙面に出た映画「私の鶯」の話はことのほか印象に残りましたので少々コメントを。

実は私は、李香蘭自身の歌う「私の鶯」の録音はまだ聴いたことはないのですが、テノール歌手の五郎部俊朗さんが「歌は美しかった3〜女性歌手へのオマージュ」の最後のトラックに入れた録音を聴いて、この歌の哀感と迫力がちょっと気になっていたのです。今回こうしてこの歌が同名の音楽映画、しかも満州に住むロシア人にまつわる話であると知ってなるほどそうだったのかと感じ入ること多く、この「私の鶯」機会があればぜひ見てみたいと思ったのでした。

満州国建国当時のハルピンといえば、革命から逃れてきたロシア人の貴族などが結構いて、もしかすると東京などは足元にも及ばないヨーロッパの香りを漂わせていたのでしょうか。この映画もロシア出身のオペラ歌手の養女となる満里子(李香蘭)のお話、全編ほとんどロシア語で作られている、というのも興味深いところです。そしてこの映画の主題歌「私の鶯」、ロシア情緒あふれる、というよりもジプシーの音楽を思わせる佳曲です。

「霧の深い宵も」とゆったりと始まる部分はジプシー音楽のチャルダーシュにおけるラッサン(緩序部)でしょうか。「いとし私の鶯か」とハイトーンでいったん盛り上がりを見せたあと、フリスカ(急部)で勢い良く曲を締めます。鶯の鳴き声を模したかのようなエンディングといい、歌曲というよりはオペラのアリアのような感じの歌。事実映画の中でもオペラハウスで歌うシーンもあるようです。
日本人でありながら中国人として生き、そしてロシア人の友人や声楽の先生と深い交流のあった山口淑子さんならではの歌、これはぜひ探して聴いてみる価値はありますね。

考えてみれば、ロシア歌曲においても18世紀のアリャビエフが書いたコロラトゥーラソプラノの名作以来、チャイコフスキーやリムスキーコルサコフグリエールといった作曲家が鶯を主題にした美しい歌曲を書いています。そういった伝統の中でこの歌も息づいているのかな、と思うと感慨深いものがあります。

もちろん侵略者として償うべきところは多々あるのでしょうけれども、この満州国で花開いた幾多の文化の中には、こんな風に後世に残す値打ちのあるものは決して少なくないと思います。

劇団四季がプロデュースしたミュージカル「李香蘭」の中では、残念ながらこの曲は取り上げられていないようですが、「蘇州夜曲」や「夜来香(イエライシャン)」など当時の魅力的な歌がたくさんフィーチャーされていました。これも私は見たことがないので(どうも日本語で歌うミュージカルには抵抗があったもので)、機会があればぜひ、つい60年ほど前の歴史に思いを馳せて見てみたいものです。

この「私の鶯」、日本初の超大作音楽映画と位置付けているサイトもありますので、ある意味ミュージカルのはしり、そうして見ると劇団四季のミュージカルとも因縁深いものがあります。

( 2004.08.16 藤井宏行 )


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