Köpfchen,Köpfchen,nicht gewimmert Spanisches Liederbuch(Weltliche Lieder) |
世俗歌曲第14番 「頭よ頭、泣くんじゃないの」(プレショーザの頭痛の金言) スペイン歌曲集_世俗歌曲集 |
Köpfchen,Köpfchen,nicht gewimmert, halt dich wacker,halt dich munter, stütz zwei gute Säulchen unter, heilsam aus Geduld gezimmert! Hoffnung schimmert, wie sich's auch verschlimmert und dich kümmert. Mußt mit Grämen dir nichts zu Herzen nehmen, ja kein Märchen, daß zu Berg dir stehn die Härchen; da sei Gott davor und der Riese Christophor! |
頭よ頭、泣くんじゃないの 気をしっかり持って、明るくするのよ その二つの支えがあってこそ 忍耐にも効き目があるのだから! 希望がなくなるわけじゃないのよ 頭痛がひどくなって もっと苦しくなったとしても 悲しみのあまりに 何ごとも考えすぎはいけないわ 空想なんてもってのほかよ 髪の毛が逆立つような 祈るのよ、神様に そして大男の聖クリストフォルスに! |
"作者セルバンテスは言うまでもなく高名な小説『ドン・キホーテ』の作者その人。プレショーザとは彼の短編集『模範小説集』の登場人物で、ウェーバーのオペラにも登場するそうです。『模範小説集』は邦訳が出ているようなのでこれから参照してみるつもりです。
聖クリストフォルスは調べたところ14守護聖人の一人。屈強の大男で渡し守の彼は、ある暴風雨の日に小さな子供に頼まれて川を渡そうとするが、何故か次第にその子供が重くなって耐えがたくなり、もう子供を川に捨てようかという誘惑と戦いながらついに対岸にたどり着いたところその子供はキリストだった、という伝説で、クリストフォルスとは「キリストをかつぐ人」の意。そこから旅人や船乗り、ひいては交通安全の守護聖人となっているそうです。わたしが目にした限りの本やCD解説などでは触れられていませんでしたが、プレショーザがだんだん重くなる子供と、だんだんひどくなる頭痛への忍耐をかけてクリストフォルスを引き合いに出しているのはまず間違いないでしょう。
第一節の3、4行目は非常に意味が取り難いのですが、その前の「気をしっかり持って、明るくする」を「二つの(柱の)支え」と解釈し、いささか超訳気味に意訳してみました。
曲調はユーモラスなもので、ピアノの軽い不協和音が頭痛が脈打つように続き、最後にはクリストフォルスへのお祈りが通じたようで穏かに終わるというもの。演奏はヴォルフ協会のトリアンティ、戦中のエルナ・ベルガー、全集のシュヴァルツコップとオッター、そして我が日本のソプラノ釜洞祐子さんのCDもあります。ベルガー、オッターも良いですが、一番ユーモラスな味を引き出しているのはシュヴァルツコップのようです。釜洞さんもかわいらしく歌っています。
2003.1.7 甲斐貴也
追記 (2003.1.20)
セルバンテスの短編集『模範小説集』を読むことが出来ました(牛島利明訳:国書刊行会刊)。プレチオーザ(プレシオーサ)が主人公となっているのはその中に収められた『ジプシー娘』。約10年前に出版されたこの本で初めて邦訳されたもので、岩波文庫の「セルバンテス短編集」やその他の文学全集でも読むことの出来ない作品ですが、これが大変面白いのに驚きました。
あらすじ
「ジプシー娘のプレシオーサは金髪碧眼の完璧な美女で、その上無類の機知と品格に恵まれている。彼女に恋した貴族の美男子アンドレスに彼女は、2年間ジプシーに身をやつして耐えられたら求婚を受け入れると言う。数々の危機を乗り切ったが名誉のために兵士を殺して総督に逮捕され絶体絶命の危機に。ところがプレシオーサの母親のジプシーの老婆が、実は彼女が総督の娘であることを明かし、親子の再会と、これも高貴の身分であることがわかったアンドレスとの結婚が許される。」
これまた能天気なハッピーエンドの物語なのですが、プレシオーサや老婆の機知に富んだ発言をはじめセルバンテスのユーモアのセンスが発揮されて楽しめました。タンバリンを鳴らしながら歌い踊るプレシオーサの描写には『鳴れ鳴れ、わたしのパンデーロ』の情景が目に浮かぶようです。さて問題のこの詩の出てくる箇所ですが、これがまた意外でした。
「求婚したアンドレスの身分を確かめるため、プレシオーサは他の踊り子達とアンドレスの家を訪れる。ところが踊るうちに、その直前彼女に想いを寄せる詩人に渡された紙片を落としてしまった。拾った紳士がそれを読み上げると、それはなんと彼女への愛の詩。嫉妬のために顔面蒼白になり父親に怪しまれるアンドレス。するとプレシオーサが機転を利かせ、呪い(まじない)で彼を回復させて見せると言って歩み寄り耳元に、これからジプシーになろうというのにそれぐらいの試練に耐えられずにどうするのか、とささやき六回十字を切るとアンドレスは急回復。一体どんな呪いかと驚く周囲の人に、プレシオーサは心臓病の予防やめまいにとりわけ効く呪いと称するものを即興ででっち上げ披露する。」
ヴォルフのスペイン歌曲集の楽譜には""Preciosas Spru:chlein gegen Kopfweh""と記されていますが、CD対訳では「プレチオーザの頭痛療法」とされるのが普通です。訳も、自分に襲った頭痛に耐えるためのおまじないのようなニュアンスのものがほとんど。ただガイベルの独訳の詩集に作品中の前後関係が明らかにされていないとすれば、ヴォルフは頭痛のお呪いと考えて作曲したのかもしれません。いつか原書で確かめてみたいところです。なお読書家のヴォルフは、セルバンテスの『ドン・キホーテ』を晩年に友人から贈られたことが記録されていますが、それはこの歌曲集の作曲後のことで、彼が『模範小説集』を読んでいたかどうかはわたしは知りません。
参考までにスペイン語のテキストから直接日本語に訳された件の呪いを引用してみましょう。
「小さな小さな小さな頭
でんとしてるの 倒れちゃだめよ
祝福されし忍耐と忍耐を
二本の支柱として捧げつつ
いつも清らかな
信頼に
すがりつき
さもしい思いに
乱れぬこと
さすれば目(ま)のあたりにするでしょう
奇跡にまごうことどもを
神の思し召しと
聖クリストバルのご加護により」
(牛島信明訳:国書刊行会刊『模範小説集』より)
こうなるとわたしが先に書いた聖クリストフォルの話も怪しくなってきますね。単純に疫病の守護聖人として名前が挙げられただけかもしれません。ただ、「忍耐」がふたつ重なっているのがすっきりしないものの、3,4行目はわたしの訳のニュアンスに近いのでうれしかったです。こうなると、第三者的に歌っているベルガーの方がシュヴァルツコップより好ましく思えてきました。
もう一つ、ヴェーバー作曲の劇音楽『プレチオーザ』について。この作品はゲーテの弟子P.A.ヴォルフの台本による4幕の戯曲への作曲で、1821年ベルリンで初演され好評を博したとのことです。全曲録音の存在は未確認ですが、序曲のみ時折演奏されるようで、クーベリック、アンセルメ、サヴァリッシュ、クーンなどの録音がありました。
"
( 2003.1.20 甲斐貴也 )