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Johanna Sebus    
 
ヨハンナ・ゼーブス  
    

詩: ゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832) ドイツ
      Johanna Sebus(1809)

曲: ツェルター (Karl Friedrich Zelter,1758-1832) ドイツ   歌詞言語: ドイツ語


 Der Damm zerreißt,das Feld erbraust,
 Die Fluten spülen,die Fläche saust.
»Ich trage dich,Mutter,durch die Flut,
Noch reicht sie nicht hoch,ich wate gut.« --
»Auch uns bedenke,bedrängt wie wir sind,
Die Hausgenossin,drei arme Kind'!
Die schwache Frau!... Du gehst davon!« --
Sie trägt die Mutter durchs Wasser schon.
»Zum Bühle da rettet euch! harret derweil;
Gleich kehr ich zurück,uns allen ist Heil.
Zum Bühl ist's noch trocken und wenige Schritt';
Doch nehmt auch mir meine Ziege mit!«

 Der Damm zerschmilzt,das Feld erbraust,
 Die Fluten wühlen,die Fläche saust.
Sie setzt die Mutter auf sichres Land,
Schön Suschen,gleich wieder zur Flut gewandt.
»Wohin? Wohin? Die Breite schwoll,
Des Wassers ist hüben und drüben voll.
Verwegen ins Tiefe willst du hinein !« --
»Sie sollen und müssen gerettet sein!«

 Der Damm verschwindet,die Welle braust,
 Eine Meereswoge,sie schwankt und saust.
Schön Suschen schreitet gewohnten Steg,
Umströmt auch gleitet sie nicht vom Weg,
Erreicht den Bühl und die Nachbarin;
Doch der und den Kindern kein Gewinn!

 Der Damm verschwand,ein Meer erbraust's,
 Den kleinen Hügel im Kreis umsaust's.
Da gähnet und wirbelt der schäumende Schlund
Und ziehet die Frau mit den Kindern zu Grund;
Das Horn der Ziege faßt das ein',
So sollten sie alle verloren sein!
  Verloren sein! Verloren sein!
Schön Suschen steht noch strack und gut:
Wer rettet das junge,das edelste Blut!
Schön Suschen steht noch wie ein Stern;
Doch alle Werber sind alle fern.
  Sind alle fern!Sind alle fern!Sind alle fern!
Rings um sie her ist Wasserbahn,
Kein Schifflein schwimmet zu ihr heran.
Noch einmal blickt sie zum Himmel hinauf,
Da nehmen die schmeichelnden Fluten sie auf.

 Kein Damm,kein Feld! Nur hier und dort
 Bezeichnet ein Baum,ein Turn den Ort.
Bedeckt ist alles mit Wasserschwall;
Doch Suschens Bild schwebt überall. --
Das Wasser sinkt,das Land erscheint,
Und überall wird schön Suschen beweint. --
  Und überall wird schön Suschen beweint.
Und dem sei,wer's nicht singt und sagt,
Im Leben und Tod nicht nachgefragt!
  Und dem sei,wer's nicht singt und sagt,
  Im Leben und Tod nicht nachgefragt!

 堤防は割れ 野は轟いて
 洪水が洗い 平野に押し寄せる
「私が背負って行くわ お母さん 水の中を
まだ水位は高くない 十分歩いて行けるわ」 -
「私たちも忘れないで 同じように困ってるわ
同居人の女と 三人の可哀想な子たちが!
このか弱い女を...あなた置いて行くの!」 -
彼女はもう母を水の向こうに運んでいた
「丘の方なら安全よ!あそこで待っててね
私は戻って みんなを助けてくるわ
丘にはまだ水が来てないし すぐ近くだから
でも私のヤギも連れて行ってね!」

 堤防は崩れ 野は轟いて
 洪水が渦巻き 平野に押し寄せる
母親を安全なところに座らせると
美しいズースヒェンはすぐに洪水の方へと戻って行く
「どこへ?どこへ行くの?水嵩は増して
ここもあそこも水があふれている
深みに入って行こうなんて無茶ですよ!」
「あの人たちを助けなくちゃならないのよ!」

 堤防は消え去ろうとし 波が咆えている
 海の大波となって うねり 轟く
美しいズースヒェンはいつも通る道を進む
流れの中でも道を外れることなく
丘の隣人のところにたどり着いた
だが女と子供たちは救えなかったのだ!

 堤防は消え去り 海のとどろきが
 その小さな丘を取り囲む
口を開けて渦を巻く 泡立つ深みが
そして女と子供たちを底へと飲み込んだのだ
ヤギの角を一人が掴んだが
皆諸共に消え去る定めであった!
  消え去る定め! 消え去る定め!
美しいズースヒェンはまだしっかりと立っていたが
誰がこの若い 最も気高い娘を救うのだ!
美しいズースヒェンはなお星のように立っていた
だが 名乗り出る者は皆遠かったのだ
  皆遠かった!皆遠かった!皆遠かった!
彼女の周りをすっかり水が取り巻いた
舟一艘とて彼女のそばに近付けなかった
もう一度 彼女は空を見上げると
洪水が媚びるように彼女を飲み込んだのだ

 堤防もなく 野原もない!ただあちこちに
 立ち木や塔がもとの在り処を示している
すべてが押し寄せる水に覆われた
だがズースヒェンの姿は至る所に浮かんでいる
水が引き 大地が現れると
至る所で美しいズースヒェンのために涙が流されたのだ
  至る所で美しいズースヒェンのために涙が流されたのだ
そしてこの話を歌いも語り継ぎもしない者は
その生死も顧みられることはないであろう!
  そしてこの話を歌いも語り継ぎもしない者は
  その生死も顧みられることはないであろう!


ゲーテ自らが書いたタイトルの下の文章がこの悲劇の背景を詳しく説明していますので以下に転記します。

Zum Andenken der siebzehnjährigen Schönen Guten aus dem Dorfe Brienen,die am 13. Januar 1809 bei dem Eisgange des Rheins und dem großen Bruche des Dammes von Cleverham Hülfe reichend unterging.
(17歳の美しく善良なブリーネン村の少女の思い出に 1809年1月13日ライン川の氷結とクレーヴァーハムの堤防の決壊時 彼女は救助に献身し水に呑まれたのだ)

このお話では川の氾濫が原因ですが、こうして身近な人、自分よりか弱い人を救おうと我が身を省みないその姿はまるで5年前の東日本大震災で東北の各地で見られたあまたの人たちの気高い行いと同じでは。もちろんそれを決して英雄的だとかいって誉めそやしてはならないのでしょうけれども、やはり心打たれたことは記憶には留めておくべきお話なのでしょう(ゲーテもこの詩の最後でそう言っています)。ちょっと生々し過ぎて今まで取り上げるのはためらわれたのですが、震災からちょうど5年経った今日、震災で同じように亡くなった多くの人たちの追悼にこの曲を取り上げましょう。
このお話、サブタイトルにあります通り1809年に実際に起きた出来事で、ブリーネン村というのはオランダの国境近くのライン川沿いの小さな村、当時はフランス領だったのだそうです。この出来事のあった年の春に、ゲーテはこの少女の追悼のためのカンタータを作るようとある婦人から依頼され、5月には詩を作って盟友ツェルターに曲を付けるよう依頼します。翌1810年の2月には曲も完成したのですが、実際の演奏はそれから1年後の1811年、少女の亡くなった1月に行われて多くの人たちを感銘させたのだといいます。詩では少女の名前がズースヒェン(スザンナの愛称、スーちゃんといった感じか)となっていますが、これはゲーテがヨハンナの愛称ハンヒェンよりは響きが良いということであえてそうしたのだそうで、ちょっと違和感はありますがそういうことで。
モーツアルトのレクイエムの一節のような緊迫感のあふれる合唱で始まり、メロディアスなパリトンのソロの情景描写と交互に歌いながら盛り上がって行きますが(合唱部分を上の歌詞では1字下げています)、洪水に彼女が呑み込まれるところのバリトンの語りは静かに、穏やかになり、一層の悲しみを引き立てます。その後の水没した村を描き出すコーラスは静謐に、時が止まったようになりますが、そこへ今度はソプラノのソロが入ってきて明るく淡々と彼女の思い出を歌いだし、合唱と共に明るく力強く音楽を締めるのでした。こここは少し私には違和感がありましたが、前半の緊迫した音楽のところはやはり感動的でしたので、全体としては素敵な音楽として心に残りました。ベルリン・ジングアカデミーの録音(Capriccio)しか聴けませんでしたが、端正にまとまってなかなか良い演奏でした。Youtubeには幼い女の子たちのお遊戯付きのライブ演奏が一本上がっておりましたが、残念ながら途中までで切れております。

( 2016.03.11 藤井宏行 )


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