Nun bin ich dein Spanisches Liederbuch(Geistriche Lieder) |
聖歌曲第1番 『今こそわたしはあなたのもの』 スペイン歌曲集_聖歌曲集 |
Nun bin ich dein, Du aller Blumen Blume, Und sing allein Allstund zu deinem Ruhme; Will eifrig sein, Mich dir zu weih'n Und deinem Duldertume. Frau,auserlesen, Zu dir steht all mein Hoffen, Mein innerst Wesen Ist allezeit dir offen. Komm,mich zu lösen Vom Fluch des Bösen, Der mich so hart betroffen! Du Stern der See, Du Port der Wonnen, Von der im Weh Die Wunden Heil gewonnen, Eh' ich vergeh' Blick' aus der Höh, Du Königin der Sonnen! Nie kann versiegen Die Fülle deiner Gnaden; Du hilfst zum Siegen Dem,der mit Schmach beladen. An dich sich schmiegen, Zu deinen Füßen liegen Heilt allen Harm und Schaden. Ich leide schwer Und wohl verdiente Strafen. Mir bangt so sehr, Bald Todesschlaf zu schlafen. Tritt du einher, Und durch das Meer, O führe mich zu Hafen! |
今こそわたしはあなたのもの すべての花に勝る花よ わたしはやむことなく歌いつづける ただあなたを誉め讃える 熱烈に わが身を捧げよう あなたと あなたの受難に 選ばれた乙女よ あなたはわたしの望みのすべて わたしの内に秘めた本性も あなたにはすべてが開かれる どうかここに来て、わたしを解き放ちたまえ わたしを厳しく責める この悪業の報いから! あなたは海の上に輝く星、 喜びの港 悲しみの中にある者が 深く癒されるところ わたしが消え去ってしまう前に 空の高みから見おろしたまえ 太陽の女王であるあなたよ! 決して尽きることがない あなたの満ち溢れる恵みは あなたは勝利へと導く 屈辱を負う者を すがりさえするならば あなたの足元に どんな傷も嘆きも癒される わたしは罪にふさわしい罰を受け 辛苦にあえいでいる 間もなく訪れる死の眠りに 恐れおののいている どうかわたしの元に来たれ そしてこの海を乗り切らせ 港へと導きたまえ |
作詞者のフアン・ルイスは14世紀に獄死した破戒聖職者で「イータの司教」と呼ばれた人物。罪を犯した苦悩マリアによる救済を訴えてはいますが、切々と続くマリア賛歌はそれが主眼とも思えるほどで、マリアへの熱烈な愛の詩とも読めます。キリスト教における理想の女性像マリアの存在について考えさせられるとともに、この曲を第1曲に置いたヴォルフの意図もまた興味深いところです。
録音は少なく、フィッシャー=ディースカウの新旧二種と、新全集のオッター以外では、レーガーによる聖歌曲全10曲のオルガン伴奏編曲のものしか聴くことができませんでした。なぜ新全集で女声のオッターが歌っているのか良くわかりませんが、歌唱そのものもやや荘重に過ぎる気がします。フィッシャー=ディースカウは自由自在にメリハリをつけて面白く聞かせてくれます。オルガン伴奏版もそれなりの雰囲気。
2002.1.29 甲斐貴也
後記(2003.3.23)
コメントでフアン・ルイスJuan Ruiz(1284頃〜1350頃)を「獄死した破戒聖職者」としたのはグラモフォン盤全集の国内初版LPの解説(再発時に差し替えられている)を参照したものですがほぼ誤りとわかりました。その後フアン・ルイスの著とされる『よき愛の書Libro de Buen Amor』の邦訳(「スペイン中世・黄金世紀文学選集2」〜牛島信明・冨田育子訳、国書刊行会)を参照したところ、この人物の経歴などはこの作品中の記述で知られるのみで、上記の記述はそのなかの詩で繰り返し牢に入れられた苦しみを訴えていること、書の内容が異端的であることからの飛躍した憶測であったようです。
しかしまたそのようなイメージが生まれるのも仕方がないような風変わりな人物であったようです。この『よき愛の書』は聖職者の作でありながら、『よき愛』(聖なる愛)と対立するはずの『狂った愛』(世俗の愛)を否定するどころか逆に称揚する「奇書」で、聖母賛美と教訓的寓意の形をとった自伝的恋愛指南、古典のパロディ、ユーモアとアイロニーが混交しています。しかしこの構成は聖歌曲と世俗歌曲の同居する「スペイン歌曲集」の構成と酷似していますね。そこまで考えてヴォルフがフアン・ルイスの聖母賛歌を曲集の冒頭に置いたとしたら大変面白いですが、もちろんこれはわたしの憶測に過ぎません。
さて、「イータの首席司祭フアン・ルイス」がこの書だけで知られるとするなら、当然この詩もこの書に含まれていることになりますがやはりありました。前掲書の473ページより、「第三の聖母讃歌」と題されたこの詩の原詩からの日本語訳を引用してみます。
*
第三の聖母讃歌
花の中の花よ、
私はあなたに従い、
いつでもあなたを称える
歌をうたい、
あなたにお仕えすることを
やめたくはない。
おお、美しき女性の粋よ!
聖母よ、私は多大の信を
あなたに置いており、
わたしの希望は、
常にあなたのもとにあるのです。
このような深い苦境から、
一刻も早く私を
救い出しに来てください。
いとも神聖なる処女よ、
わたしはひどい辛苦ゆえに、
嘆いては呻吟し、
苦痛に責めさいなまれ、
目前に迫っている破局に
恐れおののいているのです。
ああ、なんという惨めさ!
海洋の星であり、
私の深い苦悩や、
きわまった悲しみの
安らぎの港であられる方よ、
どうか私を解き放ち、
私に慰安を与えてください、
至高の貴婦人よ。
あなたの完全なる慈愛は
決して尽きることがなく、
いつでも人を苦しみから護り、
生命を授けてくれるのです。
あなたのことを忘れぬ者は、
決して滅びることがなく、
また悲しみに咽ぶこともないのです。
私は不当にも、謂のない
迫害を被っているのです
あまりに酷い仕打ちに、
このままでは死んでしまいそうです。
聖母よどうかお救いください。
わたしを安全な港へと導けるのは
あなただけなのですから。
*
全6節が5節に短縮されたうえ、詩句にもかなり変更が施されていることが訳からもうかがえますが、原詩では不当な仕打ちを訴え、その苦境からの救済を願っているのに、独訳では自分の罪を認めてそこからの救済を願うという、根本的な部分を変えてしまっていることで、ハイゼによる独訳が詩人である彼の創作に近いものであったことが読み取れると思います。
( 2003.3.23 甲斐貴也 )