Joululaulu |
クリスマスの歌 |
Nyt seimelle pienoisen lapsen käy autuas toiviotie. Niin nuoren kuin harmajahapsen, se yhdessä juhlaan vie. Vain hiljainen,nöyrä kansa on toivioretkellä se etsivi kuningastansa nyt Jumalan hetkellä. Jo väräjää jokainen kieli sen sielujen saattueen oot siinä kuin lapsi pieni , kun katselet ihmeeseen. On pahnoille seimen halvan se kätketty vuoteeseen min sulkema liekään salvan tie ylhäisten huoneeseen. Oi aukaise syömmeni ukset sa,Herrani,sisään käy! Kun täyttyvi aavistukset ei murhetta missään näy. Et saapunut itses tähden, vaan kurjien syntisten. Siis minäkin luokses lähden, kun juhla on juhlien. |
今 幼子の飼い葉桶に向かって 聖なる巡礼がやってくる 若者から白髪の老人まで 諸共にお祝いするために ただ静かに 慎ましく 巡礼の旅を続ける 彼らの王を求めて 今こそ神の時なのだ めいめいがばらばらに歌ってはいるが 魂はひとつになって伝わる みな 小さな子供のようだ 奇跡を目の当たりにしては 粗末な飼い葉桶の藁の ベッドの中にその方は隠されている 扉は不思議にも閉じられている 偉大なお方がおられる部屋への戸口は おお 開けて下さい この心の扉を わが主よ 中に入れて下さい! かの予兆に満たされることができたならば あらゆる悲しみは消え失せるのですから あなたさまが現れられたのは われら哀れな罪人のため ならば私も喜んで行こう この祝宴をお祝いしに |
1929年 シベリウスの作曲キャリアのほとんど終わりころに出版されたアカペラの合唱、詩はフィンランド語です。出版された時には別の歌詞がついていたようですが、今はほとんどこのフォルスマンの付けた歌詞で歌われているようです。
北欧のクリスマスと言いますとアカペラ合唱での歌がたくさんあるような印象がありましたが、シベリウスはあまり宗教的な曲を好まなかったのかほとんど書いておりませんでしたので、クリスマスの合唱というとこの曲のみ(独唱歌曲Op.1を編曲したものはあるようですが)と思われます。これも歌詞を見ると宗教曲というよりは素朴な信仰を歌い上げる世俗曲と言っても良いでしょうか。もっとも音楽は宗教曲的な雰囲気がバリバリですが。
( 2015.12.24 藤井宏行 )