短歌連曲 |
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ねがはくば若き木花咲耶姫 わが命をも花になしたまへ 今一度長安の子の春の夜の 噂のなかにある身ともがな 蝶を見て戀を思ひぬその蝶を 捉へつるにも逃しつるにも わが涙むなしく土に消ゆべきや いないな「人」と云ふ海に入る |
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1920〜22年にドイツに留学し、当時のドイツの前衛音楽も学んだ信時ですが、自分の作風には合わないとあまりそれらを生かすことはなかったようです。ところがこの曲は畑中良輔がシェーンベルクの音楽の影響を指摘しているように、斬新な和声や、語りと歌との絶妙なつなぎなど、かなり鮮烈な音楽を紡ぎ出しています。与謝野寛(鉄幹)の表情の全く異なる和歌4篇に曲をつけており、各篇の表情もまるで違いますが音楽には切れ目なく流れて行きますので、この4篇を1曲として扱います。
張りつめたような語りの「ねがはくば」、一転して唱歌のような抒情的な「今一度」、更に愛らしく恋する思いを歌う「蝶を見て」、一転して重たいテーマを絶唱する「わが涙」。最後は堂々と曲を閉じます。
青空文庫を見ていたら、与謝野晶子が夫・寛の和歌をコメントしながら紹介している「註釈與謝野寛全集」というものが掲載されており、その中にこんな一文がありました。
ねがはくは若き木花咲耶姫わが心をも花にしたまへ
或る音楽者が短歌の作曲をして見たいと申込まれた時に、作者は幾首かの歌を呈供したが、是れもその中の一首であつた。半切などにもよく故人はこの歌を書いた。春の神を呼びかけて云ふのにふさはしい快い調子の歌の出来たのを故人は嬉しく思つて居た。木の花を統べ給ふ情知りのさくや姫よ、自分の心にも花を咲き満たせ給へとかう歌つた作者は青春期になほ籍を置くもののやうに恍惚としてゐる。派手な恋の勇者にもならうと望んでゐる。
この或る音楽者とは間違いなく信時のことでしょうね。この全集には「今一度」を除く他の2篇の和歌の解説も載っておりますので、この曲を歌ってみようという方、より深く鑑賞しようという方は目を通されると良いでしょう。
( 2015.12.13 藤井宏行 )