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Karwoche    
  Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier
聖週間  
     メーリケ歌曲集

詩: メーリケ (Eduard Friedrich Mörike,1804-1875) ドイツ
    Gedichte  Karwoche

曲: ヴォルフ (Hugo Wolf,1860-1903) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


O Woche,Zeugin heiliger Beschwerde!
Du stimmst so ernst zu dieser Frühlingswonne,
Du breitest im verjüngten Strahl der Sonne
Des Kreuzes Schatten auf die lichte Erde,

Und senkest schweigend deine Flöte nieder;
Der Frühling darf indessen immer keimen,
Das Veilchen duftet unter Blütenbäumen
Und alle Vöglein singen Jubellieder.

O schweigt,ihr Vöglein auf den grünen Auen!
Es hallen rings die dumpfen Glockenklänge,
Die Engel singen leise Grabgesänge;
O still,ihr Vöglein hoch im Himmelblauen!

Ihr Veilchen,kränzt heut keine Lockenhaare!
Euch pflückt mein frommes Kind zum dunkeln Strauße,
Ihr wandert mit zum Muttergotteshause,
Da sollt ihr welken auf des Herrn Altare.

Ach dort,von Trauermelodien trunken,
Und süß betäubt von schweren Weihrauchdüften,
Sucht sie den Bräutigam in Todesgrüften,
Und Lieb' und Frühling,alles ist versunken!

おお、聖なる受難の証人である週よ!
おまえは春の喜びをかくも粛とさせ
太陽の若やいだ光の中で
明るい大地に十字架の影を広げる

そして黙しつつその喪の紗を下ろす
春はそのさなかにもいよいよ芽吹き
菫は花咲く樹の下で香り
小鳥たちは皆喜びの歌をうたう

おお歌をやめよ、緑の沃野の小鳥たちよ!
あたりにくぐもった鐘の音が響き
天使たちが静かに弔いの歌をうたう
おお静かに、蒼空の高みの小鳥たちよ!

菫よ、今日は巻き毛の頭をひとつたりとも飾ってはならぬ!
わたしの敬虔な子が喪の花束を編むためにおまえたちを摘む
そして神の御母の御堂に運ばれ
主の祭壇の上で萎れることになるのだ

ああ、そこでは葬送の調べに陶然とし
たちこめる香煙の香りに甘美に酔いしれて
彼女は墓穴に花婿を探し入る
こうして愛と春、その全てが消え去るのだ!

この作品はメーリケ歌曲集の中でも地味な曲で、全集企画以外ではほとんど取り上げられることもありません。キリスト教の重要な行事である「聖週間」 (4月11日の復活祭までの1週間)を迎える情景を描くこの作品 、日本盤の対訳や解説に書かれているような、純粋に宗教的感動を描いた作品としてはどうも奇妙な感じがしていました。宗教的感動というよりは、メランコリーに閉ざされたような曲調なのです。 そして最後の行の、愛と春が消え去るというくだりは、個人的な愛の喪失の示唆とも思えます。
この詩の訳を試みる場合に問題になるのが第5連4行目の「彼女 ”sie”」であり、ついで第4連第2行の「わたしの敬虔な子 ”mein frommes Kind”」です。前置きも説明もなしに出てくるこれらの語が誰をさすのかわかりにくく、有力な二種の邦訳では「彼女」=「聖週」として解決していますが、どうもわかったようなわからないような詩になっていました。 もう一種は複数形を採用して「彼女たち」としていました。宗教儀式に従事する女性たちという解釈でしょう。

そこで調べてみたところ、海外のいくつかの文献に全く異なる解釈の記述がありました。ここではLionel Thomas著の”EDUARD MORIKE POEMS”(Blackwell)の簡潔な解説を引用しましょう。

「メーリケは受難週の厳粛な悲しみと、春の自然の喜びの雰囲気との間に著しい対照を感じていた。詩人がそのために鳥たちに静粛までも命じた娘は、自分自身ではなく祭壇を飾るために菫を摘み、詩人ではなくキリストに彼女の花婿を見出す。 それにより、愛と春は詩人から消え去り意味を失う。」

また、メーリケのこの詩は彼の小説『画家ノルテン』にまず収録され、その後詩集に収められたものにヴォルフが作曲したのですが、小説中のものは第5連が異なっています (手塚富雄氏による邦訳あり)。差し替えた理由はわかりません が、これもこの詩の真意を明らかにするものでしょう。その独語原文が上記トーマスの著書に掲載されているのでこれも引用しましょう。

Wird sie sich dann in Andachtslust versenken
Und sehnsuchtsvoll in süße Liebes-Massen
Den Himmel und die Welt zusammenfassen,
So soll sie mein ― auch mein! dabei gedenken.

彼女はそれから信仰の喜びに浸り
甘美にして大いなる愛の中で憧れに満ち
この天上と地上のすべてをひとつにする
ならばわたしも思ってくれるだろうか・・・ああ、わたしも!
(甲斐訳)

ハイペリオンの全集盤CDの英文解説(ピアノ伴奏のヴィニョールズによる)はさらに、この詩の主題がワーグナーの「パルシファル」 を連想させることが熱烈なワグネリアンであったヴォルフに興味を持たせたであろうこと、ヴォルフが通暁していたシューマンのケルナー歌曲集の第2曲「消え去れ、愛よ、喜びよ!」の詩がこの作品に類似した内容を持つことを指摘していました。

早速ケルナー歌曲集のその曲の詩を参照すると、こちらは「聖週間」よりも具体的に、教会を訪ねた恋人が神の祝福を受けて信仰の道に入ってしまう情景と嘆きが描かれていました。また、ヴォルフの伝記を調べてみると、この作品は彼がバイロイトでパルシファルを鑑賞した後 、感動のあまり一人でむせび泣いていたという有名なエピソードのすぐあとに作曲されていることもわかりました。

ハイペリオン盤に付されたRichard Stokesによる英訳では”Kind”に”girl”があてられており、明白に「わたしの敬虔な子」=「彼女」という解釈になっています。極めて妥当な解釈とは思いますが、訳としてはいささかわかりやすく説明し過ぎた感もしますので、わたしの訳では「娘」などは使わず「子」のままにしておきました。 結局、わたしの訳で既訳と大きく異なるのは第5連の「彼女」を単数の直訳にしたことだけですが、個人的な愛の喪失の詩であることが表現できていれば幸いです。

それにしてもなんと暗い春の歌でしょうか。鐘の音を模したピアノ伴奏により沈鬱に始まり、その暗さに対比される中間部の春の小鳥の歌を表すピアノのトリルの明るさ がいかに空しく寂しく感じるられることか。今回何度も聴きなおしてみて、ようやくこの作品の魅力に気がつきました。曲集中でも優れた作品の一つと思います。録音はフィッシャー=ディースカウの新旧全集、ラクソンによる英アーゴの男声用全集(LP)、ハイペリオン盤(女声)、アルテノヴァ盤(女声)、そして戦時中のエルナ・ベルガー。また、ヴォルフはこの作品を管弦楽伴奏に編曲しており白井さんが録音しています。

( 2004.3.18 甲斐貴也 )


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