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Verborgenheit    
  Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier
隠遁  
     メーリケ歌曲集

詩: メーリケ (Eduard Friedrich Mörike,1804-1875) ドイツ
    Gedichte  Verborgenheit

曲: ヴォルフ (Hugo Wolf,1860-1903) オーストリア   歌詞言語: ドイツ語


Laß,o Welt,o laß mich sein!
Locket nicht mit Liebesgaben,
Laßt dies Herz alleine haben
Seine Wonne,seine Pein!

Was ich traure,weiß ich nicht,
Es ist unbekanntes Wehe;
Immerdar durch Tränen sehe
Ich der Sonne liebes Licht.

Oft bin ich mir kaum bewußt,
Und die helle Freude zücket
Durch die Schwere,so mich drücket
Wonniglich in meiner Brust.

Laß,o Welt,o laß mich sein!
Locket nicht mit Liebesgaben,
Laßt dies Herz alleine haben
Seine Wonne,seine Pein!

放っておいてくれ、世の人々よ、好きにさせてくれ!
善意の贈り物などで気を引いてくれるな
この心を独りにさせてくれ
喜びにしろ、苦しみにしろ

何を悲しむのかわたしにもわからない
それは故知れぬ心痛なのだ
わたしは太陽の慈愛の光を
いつも涙に濡れた眼で見ている

時にはほとんど覚えもなく
晴れやかな喜びが閃いて
わたしを苦しめる憂鬱を突き抜け
この胸に喜びを満たす

放っておいてくれ、世の人々よ、好きにさせてくれ!
善意の贈り物などで気を引いてくれるな
この心を独りにさせてくれ
喜びにしろ、苦しみにしろ

感性があまりに鋭敏なるがゆえに、世俗の中では過剰な悲しみと喜びに翻弄される詩人は孤独を求めます。しかし一方でこれほどことさらそれを訴えるのは、実は強く他者を求めているのだとも言えるでしょう。創作者は本質的に受け手である他者を必要とします。「孤独を愛する寂しがり屋」である詩人が本当に心満たされることは永久にないのかもしれません。

隠者の美学と言えば中国の詩人陶淵明が有名ですが、生涯地方の町シュヴァーベンを出ず、自らの精神の安寧のため親友や恋人を切ったメーリケもまた隠者として生きた人でしょう。皮肉なことに晩年は家庭不和や創作力の枯渇に苦しみ、生涯安寧は訪れなかったのですが。

一般に「隠棲」と訳されることの多い”Verbogenheit”ですが、より一般的で「遁」(=「のがれる」の意)を含んだ「隠遁」のほうが詩の内容にふさわしいと思いこれをとりました。

ヴォルフの作曲は彼としては平明で美しいもので、曲集中でも特に一般的人気の高い作品です。ヴォルフ自身は後にこの曲を「自分らしくない」と評したそうですが、確かに多感すぎる詩人の苦悩を深く抉るようなものではなく、ソプラノで可愛らしく歌われるといささかおセンチな詩のように読まれてしまいそうです。ボニーの録音はその傾向の代表格で、この曲をこれほど美しく歌った例も少ないでしょう。「少年と蜜蜂」といい、ボニーの手にかかるとヴォルフの曲のメロディの美しさが最大限に引き出されます。しかしそこにはこの詩の苦悩の影も無いのもまた事実。
手持ちの10種以上の音源を聴き比べた中では、男声ではバリトンのヘルベルト・ヤンセン(ヴォルフ協会SP復刻)、バスのロベルト・ホル(プライザー)、女声ではメゾのファスベンダー(デッカ)が、この歌詞に切実さを与えている歌唱と思いました。いずれも歌うよりは語る演奏で、ボニーのとはまるで別の曲のように聞えます。世界初録音かそれに準じると思われる、ヤンセンの歌唱における第1連、第4連の憂鬱さは詩人の苦悩を表現して素晴らしいと思いました。

( 2004.04.22 甲斐貴也 )


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