Der Tambour Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier |
鼓手 メーリケ歌曲集 |
Wenn meine Mutter hexen könnt’, Da müßt’ sie mit dem Regiment, Nach Frankreich,überall mit hin, Und wär’ die Marketenderin. Im Lager wohl um Mitternacht, Wenn niemand auf ist als die Wacht, Und alles schnarchet,Roß und Mann, Vor meiner Trommel säß’ ich dann: Die Trommel müßt’ eine Schüßel sein; Ein warmes Sauerkraut darein, Die Schlegel Messer und Gabel, Eine lange Wurst mein Sabel, Mein Tschako wär ein Humpen gut, Den füll’ ich mit Burgunderblut. Und weil es mir an Lichte fehlt, Da scheint der Mond in mein Gezelt: Scheint er auch auf franzö’sch herein, Mir fällt doch meine Liebste ein: Ach weh! Jetzt hat der Spaß ein End’! - Wenn nur meine Mutter hexen könnt’! |
僕のお母さんに魔法が使えたらなあ そうしたらフランスでもどこでも 連隊と一緒について来てくれたろうに 炊事婦にでもなってさ 野営地は真夜中なので 歩哨以外に起きている者は誰もいない 馬も人もみんないびきをかいている そこで僕は太鼓の前に腰をおろす この太鼓が深皿ならいいのにな 中には温かいザウアークラウト このバチがナイフとフォークで サーベルが長ソーセージというわけだ 筒型帽は上物のふた付きジョッキ それにブルゴーニュの赤をなみなみ注ぐ そして明かりがなくても 月の光がテントを照らしてくれる それはフランスの地にも優しく差して 僕に愛しいあの娘を思い出させる ああ、畜生! お遊びはもうやめだ! ・・・僕のお母さんに魔法が使えたらなあ! |
軍楽隊の太鼓奏者が主人公の詩です。ユーモラスな詩ですが、母親に甘えるような少年が戦地に赴いているという苦味もまたありますね。タイトルは詩の内容に関連させて「少年鼓手」と訳されることもあります。ヴォルフの作曲は中間部を勇壮な軍楽調にしているのが面白いです。
例によって原詩をほぼそのまま作曲していますが、最後から二行目の”Ach weh!”は三回、一番最後の行全体も一度繰り返されます。いずれも非常に効果的で、詩句の繰り返しをほとんどしないという定説のあるヴォルフが、場合によってはそれを有効に行っていた例のひとつとなっています。(当初四行五連の詩として訳していましたが、原詩を併載するにあたりそれに合わせて区切りをなくし、多少手を加えました)
演奏は毎度のことながら芸達者なフィッシャー=ディースカウが楽しいですが、ホッターの無手勝流のような豪快な歌もかえってユーモラスな味を出しています。
( 2003.12.8 甲斐貴也 ) 2004.11.16改訂
記念すべき初のメーリケ詩邦訳と言われる森鴎外(1862-1922)訳の「鼓手」をご紹介します。明治38年(1905年)の『うた日記』の中に、レーナウ、プラーテン、リリエンクローンらの作と並んで掲載されているものです。鴎外とヴォルフがほぼ同世代であることを再認識もさせられます。美しい八五調の三行四連に整えるためかなり省略されてはいますが大意は伝えているのはさすが。「母魔女ならば」は名訳ではないかと思いました。
「鼓手」 MOERIKE
母魔女ならば 聯隊の
ゆくさきざきの 人國(ひとくに)へ
来ましを酒保の 物賣りに
さらば歩哨の 外(ほか)なべて
人馬みな寐る(ねる) 陣の夜を
鼓(つづみ)を前に あかさんを
剣は腸づめ 鼓皿
撥はふおおくと ないふとよ
帽は盃 酒血しほ
燈(ともし)なけれど 月はさす
人國にさす 月にさへ
偲ぶわが母 魔女ならば
(森鴎外『うた日記』より)
( 2004.11.23 甲斐貴也 )