ふるさとの |
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ふるさとの 小野の木立に 笛の音(ね)の うるむ月夜や 少女子(をとめご)は 熱きこゝろに そをば聞き 涙ながしき 十年(ととせ)経ぬ 同じ心に 君泣くや 母となりても |
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山田耕筰とほとんど同世代の斎藤佳三は、もともと音楽家志望で東京音楽学校に入学しましたが、在学中に舞台芸術に惹かれるようになってついには中退、美術学校に入り直してのちには商業デザイナーのはしりとして、また美術教育活躍した人でした。1912年にはベルリンに構成美学を学びに留学しており、その山田耕筰と同宿して暮らしていたのだそうです。
昔取った杵柄か、彼は作曲家としてもいくつかの作品があり、その中でもこれはNHKラジオの国民歌謡でも1932年に取り上げられたためか非常にポピュラーとなり、彼の代表作、と言うよりも今に残る彼の唯一の音楽作品となっています。
露風の同じ詩には実はベルリン留学中の1911年にも曲をつけており、どちらかが他方に影響を及ぼしたのでは?と勘ぐってしまうところですが、バリバリのドイツリートスタイルの耕筰の作品に対し、この斎藤の曲は日本人のメンタリティに直接響きかける演歌調のメロディ、全く別物となっています。1916年に耕筰の校閲を経て出版された「斎藤佳三・新しき民謡」の中に収められていたのだそうですが、裏は取れておりませんけれども作曲自体はずっと遡って1908年と自筆の年譜にはあるのだそうで、露風のこの詩の発表がその前年だったので、もし作曲がほんとうにこの年であればその素早い慧眼に驚かされます。この詩はその後も多くの作曲家によってメロディが付けられているのですから。
( 2015.09.20 藤井宏行 )