Der Genesenen an die Hoffnung Gedichte von Eduard Mörike für eine Singstimme und Klavier |
療養者が希望に寄せて メーリケ歌曲集 |
Tödlich graute mir der Morgen: Doch schon lag mein Haupt,wie süß! Hoffnung,dir im Schoß verborgen, Bis der Sieg gewonnen hieß. Opfer bracht ich allen Göttern, Doch vergessen warest du; Seitwärts von den ew'gen Rettern Sahest du dem Feste zu. O vergieb,du Vielgetreue! Tritt aus deinem Dämmerlicht, Daß ich dir ins ewig neue, Mondenhelle Angesicht Einmal schaue,recht von Herzen, Wie ein Kind und sonder Harm; Ach,nur einmal ohne Schmerzen Schließe mich in deinen Arm! |
夜が明けて辛い一日がまた始まった だがわたしの頭はなんとも心地よく安らいでいる! 希望よ、おまえの膝にそっと顔を埋めているのだ 勝利を得るその時まで わたしはあらゆる神に供物を捧げてきた だがおまえのことを忘れていた 永遠の救い主たちの傍らで おまえはひとり祝宴を眺めていた おお、許してくれ、一番誠実な友よ! おまえのいる暗闇から出てきて 永遠の若さを保つ 月のように明るい顔を また見せておくれ 心正しく、無邪気で陰りの無い顔を ああ、一度だけでも苦痛なしに お前の腕に抱かれたい! |
4行目の”Bis der Sieg gewonnen hiess.”を「病の克服がなった」などとして、前半を病から既に癒えた者が心の支えになった「希望」に感謝する詩と解釈した訳が多いですが、そうするとどうにも後半の希望の渇望との整合性が取れなくなると思います。それよりも、病を克服しようとしている者が「希望」にすがる、とした方が無理が無いと考え、そこは直訳に近くしてみました。タイトルの訳が一番難しかったかもしれません。「癒えたものが希望に寄せる歌」「希望に寄せる回復者の歌」などの既存の訳に比べてあまり格好良くはありませんが、「癒えつつある者」「癒えようとしている者」の意を込めたかったのです。そう言えば、少し前に訳したシェックのメーリケ歌曲「病床で」は、まさに病の床での希望についてふれたものでした。
ヴォルフはこの詩への作曲をメーリケ歌曲集の第1曲に置いており、喜多尾道冬氏は『ヴォルフがワーグナーの音楽に出会ってから13年、メーリケの詩集にふれてから10年という、自分の真の方向を見出しえない長い苦しみの期間(病)から、ついに蘇る希望を見いだしたよろこびをまずあらわしたかったからだろう。』と書かれています(ポリドール・ヴォルフ歌曲全集CD解説書)。陰鬱な響きで始まり、急激に明るさを増して4行目で勝利のファンファーレが鳴り響くかのような曲首から印象的な作品で、大歌曲集の第1曲にふさわしいものだと思います。
演奏はやはりフィッシャー=ディースカウ、そしてそのメーリケ歌曲集抜粋のCDの冒頭にこの曲を置いている白井さんのスケールの大きな歌唱が好きです。
( 2003.8.28 甲斐貴也 )