あづまやの 沙羅 |
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あづまやの まやのあまりに 立ちぬれて 殿(とん)の戸あけと 云ひし人もが 鎹(かすがひ)も?(とざし)もなしと 云ひし人もが 五月雨を わが訪ひくれど 門さして 君はいまさず 憎くや この君 |
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これまた国文学者らしくえらく難しい詩です。この「あづまや」、実は元歌がありまして、平安時代に庶民によって歌われた歌謡が今に残されている催馬楽(さいばら)、その一曲に「東屋」というものがあり、この詩はそこから取られたものの清水によるアレンジなのです。紫式部の「源氏物語」にも取り上げられているこの東屋、原詩はこんな感じです。
東屋の 真屋のあまりの その雨(あま)そゝき
我立ち濡れぬ 殿戸開かせ
鎹も 錠(とざし)もあらばこそ その殿戸 我鎖(さ)さめ
押し開いてきませ 我や人妻
この当時、男女が会うのはもっぱら「夜這い」でありましたから、この詩でも男が雨のそぼ降る中、女に扉を開けてくれと呼びかけます。二段目でそれに答えて女が、鍵は開いていますから入っていらっしゃい、と語っています。これから花開くオトナの夜の始まりですね。実に艶めかしいです。
それを受けての清水の詩ですが(催馬楽の原詩より難しいと感じるのは私だけでしょうか?)、同じシチュエーションで軒先に濡れながら立っている男ですけれどもどうもフラれているようですね。「ドアを開けて待ってるわよ(はあと)」と言われて訪ねては見たものの家には誰もいない 空しく立ちぼうけ... かなりマヌケでつらいシチュエーションです。
信時の付けたメロディは従って軽快でユーモラス。平安時代ではなく、どこか江戸情緒を感じさせるような粋な味わいです。というのも歌の発声を常磐津か長唄のような日本的発声にさせているのが一番効いているようです。この曲は軽やかなテノールの声でその発声を聴くのが最もそのおかしみが出てくるようで、私はそれで聴くのが一番好きです。
( 2015.03.14 藤井宏行 )