Der Frühling Gesänge nach Gedichten von Friedrich Hölderlin |
春 ヘルダーリンの詩による歌曲 |
Wenn auf Gefilden neues Entzücken keimt Und sich die Ansicht wieder verschönt und sich An Bergen,wo die Bäume grünen, Hellere Lüfte,Gewölke zeigen, O! welche Freude haben die Menschen! froh Gehn an Gestaden Einsame,Ruh' und Lust Und Wonne der Gesundheit blühet, Freundliches Lachen ist auch nicht ferne. |
あたりに新しい歓びが芽吹き その眺めは再びうるおい 樹々が緑に萌える山々には 晴れやかな大気と雲の群れが現われる おお、なんという歓びを人間は持つのだろう! 楽しげに岸辺を歩く孤独な人たち、おだやかで快く 健やかに無上の喜びが花咲く やさしい笑顔が見られるのも遠くない |
先日友人のすすめで映画「シンドラーのリスト」を見ました。もうだいぶ以前に話題になった作品で評判だけは知っていたのですが、想像していたのとはだいぶ印象が違いました。決して優等生ではないどころか遊び人の山師のようなシンドラーが、単にビジネス上の理由で人件費の安いユダヤ人を雇いながら、ナチスの暴虐を目の当たりにして次第に人道に目覚めていく過程は、当時一方的な被害者だった民族が現在パレスチナで行っていることの苦さを思ってもやはり感動的でした。
そこで白井光子さんの「ヘルダーリン歌曲集」というCD(独カプリチオ)に、アウシュビッツで殺された作曲家ヴィクトル・ウルマンの作品が収められているのを思い出し、見つけたのがこの作品です。この詩はヘルダーリンがいわゆる「精神の薄明」に陥ってからのものです。幸せな詩のようでいて、特に後半の浮世離れしたした表現は作者が彼岸に半分足を踏み入れてしまっていることを感じさせます。春の訪れとは、すでに世を去ったディオティーマとの再会を示唆しているのでしょうか。
それにしても、テレジエンシュタット収容所で楽譜の紙にも苦労しながらこの詩に作曲したウルマンの心境を思うと痛ましさが募ります。その後彼はアウシュヴィッツに移送され、おそらく到着直後の選別でガス室に送られて殺されたとされているそうですが、この時点ではまだ一抹の希望を持っていたはずです。
シェーンベルクに師事し、四分音の作品も残したウルマンだけにやや難解な作風ですが、言葉の一つ一つに敏感に反応していることがうかがわれる聴き応えのある小品でした。
( 2003.1.21 甲斐貴也 )