荒磯 |
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荒磯の 巌にくだけし 月影を 一つになして かへる波かな |
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日本の歌曲草創期の大家、瀧廉太郎の曲を今まで取り上げなかったのは、今更「花」や「荒城の月」について語ることもないしなあ、という先入観のゆえでしたが、今回たまたま「日本の声楽・コンポーザーシリーズ1」(Victor)でまとめて彼の作品を聴いたところ、そんなつまらない思い込みを吹き飛ばす豊穣な世界が広がっていることに気付かされました。
「もういくつ寝るとお正月」のみが有名な童謡にも可愛らしい曲がいくつもありますし、文語体のリズムが実に楽しい「箱根山」や「豊太閤」、そして私は知らなかったのですが「春のうららの隅田川」で始まる「花」は実は組曲「四季」の第一曲で、他にも魅力的な「納涼」「月」「雪」が続く素敵な抒情歌のシリーズだったのです。
例によってまたそんな中でも珍しい曲に興味が行ってしまうのが私の悪い癖ですが、この曲、なんと歌詞が「この紋所が目に入らぬか」でおなじみの水戸光圀公の和歌です。中学唱歌ということで紹介されていますが、調べてみると彼の最晩年(といってもまだ20代前半なのですが)の作品のひとつなのですね。和歌の詠唱を取り入れたかのような格調高いスタイルでなかなか面白い作品に仕上がっています。
(この曲は中村邦子のソプラノ、三浦洋一のピアノで収録)
確かに西洋の音階と和歌の言葉との間にはまだ埋められていないギャップがありますが、今回紹介した清瀬保二など後に続く作曲家たちがその違和感は次第に埋めてくれていますので、まさにその原点たる作品かと...
まあ、何より作詩・作曲の組み合わせがあまりに面白いもので思わず取り上げてみました。
余談ですがこのCD、最後に彼の遺作のピアノ曲を収録しています。病に倒れ、死の4ヶ月前に作曲されたその作品の題名は「憾」(うらみ)。2分あまりのこの曲はショパンの革命エチュードのような激しい情念をたぎらせて非常に感動的です。
もし彼が70歳まで生きたとすれば、最晩年は太平洋戦争後ですから、日本の歌曲の情景は全く違ったものになっていたことは間違いないでしょう。まさに「憾(心残り、の意)」の夭折でした。
( 2004.01.01 藤井宏行 )