Borodino |
ボロジノ |
Skazhi-ka,djadja,ved’ ne darom Moskva,spalennaja pozharom, Frantsuzu otdana? Ved’ byli zh skhvatki boevye, Da,govorjat,eshche kakie! Nedarom pomnit vsja Rossija Pro den’ Borodina! My dolgo molcha otstupali, Dosadno bylo,boja zhdali, Vorchali stariki: “Chto zh my? na zimnie kvartiry? Ne smejut,chto li,komandiry Chuzhie izorvat’ mundiry O russkie shtyki?” I vot nashli bol’shoe pole: Est’ razguljat’sja gde na vole! Postroili redut. U nashikh ushki na makushke! Chut’ utro osvetilo pushki I lesa sinie verkhushki - Frantsuzy tut kak tut. Zabil zarjad ja v pushku tugo I dumal: ugoshchu ja druga! Postoj-ka,brat mus’ju! Chto tut khitrit’,pozhaluj k boju; Uzh my pojdem lomit’ stenoju, Uzh postoim my golovoju Za rodinu svoju! I molvil on,sverknuv ochami: “Rebjata! ne Moskva l’ za nami? Umremte zhe pod Moskvoj, Kak nashi brat’ja umirali!” I umeret’ my obeshchali, I kljatvu vernosti sderzhali My v Borodinskij boj. |
教えてよ おじいさん 何かわけがあったんでしょ 火災で焼けたモスクワを フランスに渡したのは? まあ本当は 戦闘があったそうだけどね ねえ 話してよ もっと詳しく! 不思議でも何でもないさ ロシアが忘れないのは ボロジノの日のことを! わしらはずっと黙って退却した 悔しい思いで 戦闘を待った 年寄りどもはぶつぶつ言ったさ 「いったいどうすんだ?冬営でもするのか? 司令官どもには勇気がないのか 侵略者どもの軍服を斬り裂く勇気が このロシアの銃剣で?」 そんな折 広大な野原が見つかったんだ 自由に動ける野原が! そこに堡塁を構築し わしらは耳を澄ませた! 朝の光が照らし出すと 大砲を そして青い森の梢を フランス兵どもが現れた わしは弾薬を大砲の中にしっかり詰めた そして考えた 一発お見舞いしてやるぜ! 待ってろよ 兄弟 ムッシュー! 卑怯な手なんか使わないぜ ただ戦うのみ 壁を打ち破ってやるぞ さあ 先陣切って進め お前の祖国のために! 隊長は目を輝かせて言ったものだ 「みんな 俺たちの背中にあるのはモスクワじゃないか? モスクワのために死のうじゃないか 俺たちの兄弟のような!」 こうしてわしらは 死ぬことを約束した そしてその忠誠の誓いを守ったのさ あのボロジノの戦いで |
1812年にロシアに攻め込んできたフランス軍との間で戦われたボロジノの戦いは、現在に至るまでもロシアでは勝利を祝う日として重要なのだそうです。音楽でもチャイコフスキーの書いた「大序曲1812年」はたいへん有名ですね。
さて、1837年、ちょうどその戦いの25周年となった年にレールモントフはこんな詩を書きました。実際は14節からなる長いもので、勝利や多くの戦友たちの戦死の姿まで描いたものですが、調べて出てきたロシアの歌詞サイトでは今回取り上げた5節(1・3・4・5・9節にあたります)が載せられていましたのでそれだけを訳しております。本当は全部訳したいところですが私の能力を超えておりますのでこれにてご容赦ください。
この詩にメロディがつけられ、赤軍合唱団やコサックの合唱団などで愛唱されているものが色々と聴けます。実際の作曲者は今となっては分からなくなっているようですが...
( 2014.09.27 藤井宏行 )