Kol nidre Op.39 |
コル・ニドレ |
Rabbi: The Kabalah tells a legend: At the beginning God said: “Let There Be Light.” Out of space a flame burst out. God crushed that light to atoms. Myriads of sparks are hidden in our world,but not all of us behold them. The selfglorious,who walks arrogantly upright, will never perceive one; but the meek and modest,eyes downcast, he sees it. “A light is sown for the pious.” Bischiwo Schel Malo Uwischiwo Schel Mato In the name of God! We solemnly proclaim that every transgressor, be it that he was unfaithful to Our People because of fear, or mislead by false doctrines of any kind, out of weakness or greed: we give him leave to be one with us in prayer tonight, A light is sown for the pious,a light is sown for the repenting sinner. (Kol Nidre) All vows,oaths,promises and plights of any kind, wherewith we pledged ourselves counter to our inherited faith in God, who is One,Everlasting,Unseen,Unfathomable, we declare these null and void. We repent that these obligations have estranged us from the sacred task we were chosen for. Chor: We repent. Rabbi: We repent. We shall strive from this day of atonement till the next to avoid such and similar obligation, so that the Yom Kippur to follow may come to us for good. Chor: All vows and oaths and promises and plights of any kind (etc.) may come to us for good. Rabbi + Choir: Whatever binds us to falsehood may be absolved,released,annulled,made void and of no power. Chor: Hence all such vows shall be no vows, and all such bonds shall be no bonds, all such oaths shall be not oaths. We repent. Null and void be our vows. We repent them. A light is sown for the sinner. Rabbi: We give him leave to be one with us in prayer tonight. Chor: We repent. |
ラビ: カバラは伝説を告げる 初めに神はのたまわれた:「光あれ」と 虚空より炎が燃え上がった 神はその光を砕き 原子とされた 無数の火花はわれらの世界の中に隠されている だが われらのすべてが それを見るのではない 自らを優れた者となし 傲慢に直立して歩く者は 決してそれを見ることはないであろう だが 柔和で穏やかな者は 目を下に向ければ それを見ることになるのだ 「光は敬虔なる者のために蒔かれている」 ビスシヴォ シェール マロ ヴィスシヴォ シェール マト 神の名において! 我々は厳粛に宣言する あらゆる罪を犯した者が われらが民に恐怖ゆえに不実をなした物であろうと あるいは誤ったいかなる種の教義に導かれたのであろうと 弱さや貪欲がもとであろうと われらはその者を許し われらと共に今宵祈りを捧げるひとりとなすであろう 光は敬虔なる者のために蒔かれている 光は蒔かれているのだ 悔い改めし罪人のために (コル・ニドレ) すべての誓約 宣誓 約束 そしてあらゆる種の誓いを われらは自ら契ってきたが それは神へのわれらの継承してきた信仰に反している 唯一にして 永遠の 目に見えず 計り知れない神への われらは宣言する これら誓いは無にして無効であると われらは悔いる これらの責務がないがしろにしてきたことを われらが選ばれし本来の聖なる仕事をなすことを コーラス: われら悔い改めん ラビ: われら悔い改めん われら続けん この贖罪の日より次の贖罪の日まで かような責務を避けることを かくて来たるヨム・キプル(贖罪の日)に われらに善きことがもたらされるように コーラス: すべての誓約 宣誓 約束 そしてあらゆる種の誓いを (繰り返し) われらに善きことがもたらされるように ラビ+コーラス: われらを偽りに結び付けしいかなるものも 免除され 解放され 破棄され 無効にされ 無力にされんことを コーラス: 従って すべてのそのような誓いは誓いではあり得ぬのだ すべてそのような束縛は束縛ではなく すべてそのような宣誓は宣誓ではない われら悔い改めん 無にして無効なり われらの誓いは われら悔い改めん 光は罪人のために蒔かれているのだ ラビ: その者をわれらと共に祈りを捧げるひとりとなすであろう 今宵 コーラス: われら悔い改めん |
1933年、ナチスの迫害によりドイツを出なければならなくなったシェーンベルクは、同年亡命先のパリでユダヤ教に改宗します。さらにアメリカ、ロスアンジェルスに逃れた彼は1938年、その地のユダヤ教の律法学者ゾンダーリングの勧めで、ユダヤ教の祭礼「コル・ノドレ(すべての誓い)」を用いた音楽を作ることにします。出来あがった音楽は語り手(ラビ)、合唱にオーケストラという構成になり、またテキストはもとの典礼文から作曲者が編集しなおしたものを使っています。分厚いオーケストラの上で合唱と掛け合いながら語り手が抑揚をつけて語るそのスタイルはなかなかにインパクトがありますが、やはりなじみの少ないユダヤ教の典礼、また当のアメリカのユダヤ人たちは彼のロマン主義を排した鋭い音楽に拒否感を持つ人が多かったのでしょうか、この作品はほとんど知られることもなく埋もれてしまうことになりました。同じくアメリカ時代に書かれた同一スタイルの傑作「ワルシャワの生き残り」に負けないたいへんに印象的な作品だと思うのですけれども。
( 2014.04.13 藤井宏行 )