南天の花 |
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南天の花 咲きぬ ひそかに 咲きぬ おもかげは かなしかるもの この花の しずけさに似て 焼跡に ふたたび生きて 南天の花は 咲きぬ 南天の花 散りぬ ひそかに 散りぬ おもかげは ほのかなるもの この花の はかなさに似て 焼跡に われのみ生きて 南天の花に 泣きぬ |
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1949年12月作曲 「長崎の哀歌」の副題もついている作品です。詩の永井隆は放射線科の医師、長崎の原爆投下で妻を失い、自らも白血病に苦しみながら被爆者たちを救い、体が動かなくなってからはこの悲劇を語り伝えることを続けながら昭和26年(1951)43歳で亡くなっています。
そんな彼の詩にひそやかなメロディを山田耕筰が付けています。耕筰の妻となったソプラノ、辻輝子の録音がありますが残念ながら現代に歌い継がれる歌とはなっていないようです。
彼の妻が被曝で即死した家で生きのびた南天の木を永井が療養している家に移し替え、その花を眺めながら歌った詩、さりげない言葉の裏に深い悲しみが満ちていますが、穏やかな曲想はそれをとてもさりげなく、さりげなく伝えてくれています。
( 2013.08.02 藤井宏行 )