Lied der Suleika Op.25-9 Myrten |
ズライカの歌 ミルテの花 |
Wie mit innigstem Behagen, Lied,empfind' ich deinen Sinn, Liebevoll du scheinst zu sagen, Daß ich ihm zur Seite bin; Daß er ewig mein gedenket, Seiner Liebe Seligkeit, Immerdar der Fernen schenket, Die ein Leben ihm geweiht. Ja,mein Herz es ist der Spiegel, Freund,worin du dich erblickst, Diese Brust,wo deine Siegel Kuß auf Kuss hereingedrückt. Süßes Dichten,lauter Wahrheit, Fesselt mich in Sympathie, Rein verkörpert Liebesklarheit Im Gewand der Poesie! |
どんなにか心満ち足りて 歌よ、おまえの心を感じることか おまえは優しく言ってくれるかのようね わたしはあの方のお側にいるのだと あの方はいつもわたしを想ってくださり あの方の愛のこの上ない幸せを 絶えることなくもたらしてくださっているのだと 遥か遠くあの方に命捧げるこの女に そうです、わたしの心は鏡なのです 親しい人よ、そこにはあなたの姿が映るのです そしてこの胸は封印されています あなたが何度も何度も口づけをして あなたの甘美な詩とそのいつわりのない誠は わたしを魅了し、同じ想いにさせてくれます 清らかな愛は詩の衣をまとうことで その真の姿を現すものなのですね |
ゲーテの恋人マリアンネの詩です。ゲーテの詩集『西東詩集』にゲーテ作として収められて発表され、後年マリアンネ作であることが発覚するまで長くゲーテの名詩として知られていたものの一つで、シューマンもゲーテの詩と信じて作曲したことになります。満ち足りた愛の幸せを歌うようで、遠く離れた恋人の愛情への不安や愛の渇望が強く感じられます。
しかし歌曲集『ミルテの花』第9曲のシューマンの作曲は幸福感の勝ったものです。それは彼がようやくクララと結ばれた幸せな時期に書かれたことも影響しているのかもしれません。そのクララの作品とともに収められたボニーのシューマン夫妻作品集CDの歌唱は恋人への揺ぎ無い信頼に満ちた幸せな歌になっています。これはこの盤の企画から見ても、この作品の解釈として最も正統なものといえるでしょう。フィッシャー=ディースカウと組んで『ミルテの花』全曲を録音したマティスの歌もその傾向と思いました。
一方、白井さんの歌唱や、ベーアと組んだ『ミルテの花』全曲盤でのバンセの歌唱は、この詩の不安や渇望に焦点を合わせているように思います。一人で『ミルテの花』全曲を録音しているシュトゥッツマンの歌は両者の中間的ですが、美しく仕上がっています。
( 2004.06.01 甲斐貴也 )