Dir,der Unberührbaren Symphony no. 8 Part.2 |
御身、触れることのあたわざるお方であっても 交響曲第8番第2部 |
(CHOR) Dir,der Unberührbaren, Ist es nicht benommen, Daß die leicht Verführbaren Traulich zu dir kommen. In die Schwachheit hingerafft, Wer zerreißt aus eig'ner Kraft Sind sie schwer zu retten; Der Gelüste Ketten? Wie entgleitet schnell der Fuß Wie entgleitet schnell der Fuß Schiefem,glattem Boden! CHOR DER BÜSSERINNEN (und Una poenitentium) Du schwebst zu Höhen Der ewigen Reiche, Vernimmt das Flehen, Du Gnadenreiche! (Chor) Du Ohnegleiche! MAGNA PECCATRIX Bei der Liebe,die den Füßen Deines gottverklärten Sohnes Tränen ließ zum Balsam fließen, Trotz des Pharisäer-Hohnes: Beim Gefäße,das so reichlich Tropfte Wohlgeruch hernieder: Bei den Locken,die so weichlich Trockneten die heil'gen Glieder. MULIER SAMARITANA Bei dem Bronn,zu dem schon weiland Abram ließ die Herde führen: Bei dem Eimer,der dem Heiland Kühl die Lippe durft' berühren: Bei der reinen,reichen Quelle, Die nun dorther sich ergießet, Überflüssig,ewig helle, Rings durch alle Welten fließet. MARIA AEGYPTIACA Bei dem hochgeweihten Orte, Wo den Herrn man niederließ: Bei dem Arm,der von der Pforte, Warnend,warnend mich zurücke stieß, Bei der vierzigjähr'gen Buße, Der ich treu in Wüsten blieb: Bei dem sel'gen Scheidegruße, Den im Sand ich niederschrieb. ZU DREI Die du großen Sünderinnen Deine Nähe nicht verweigerst, Und ein büßendes Gewinnen In die Ewigkeiten steigerst: In die Ewigkeiten Gönn' auch dieser guten Seele, Die sich einmal nur vergessen, Die nicht ahnte,daß sie fehle Dein Verzeihen angemessen! Gönn' auch dieser guten Seele, Dein Verzeihen angemessen! |
(合唱) 御身、触れることのあたわざるお方であっても それは禁じられてはおりません 容易に誘惑される女たちが ひそかに御身のところへ参りますことは 弱さに絡め取られ だれが自分の力のみで断ち切れるでしょう 彼らは救い難き者どもなれど この情欲の鎖を? どうして足を滑らせずにいられましょう どうして足を滑らせずにいられましょう 傾いた滑らかな床の上で! 贖罪の女たちの合唱 (そして一人の贖罪の女) 高みを漂えるお方 この永遠の王国の高みを お聞きください この祈りを 御身 恵み深きお方! (合唱) 御身 たぐいなきお方よ! 罪深き女 この愛にかけて、かのお御足 あなた様の栄光の御子のお御足に 涙を香油に代えて注がせて頂いた愛に パリサイ人との嘲りをものともせぬ愛に かの器にかけて、とてもたくさんの 香水が滴り落ちたかの器に かの巻髪にかけて とてお柔らかく 聖なる御手足をお拭いした巻髪にかけて サマリアの女 かの泉にかけて、その昔 アブラハムが家畜を連れて行った泉に かの水瓶にかけて、救世主の 御唇に涼しく触れることを許された水瓶に この澄んだ、豊かな泉にかけて 今 絶え間なくあふれ出し あたりを満たし、永遠に明るく まわりの 世界中を流れ行く泉にかけて エジプトのマリア このいと高き聖なる場所にかけて 主が鎮座まします場所に かの御腕にかけて、門の前にて 警告しつつ、警告しつつ私を引き戻したかの御腕に この40年間の懺悔にかけて 私が誠実に砂漠の中でし続けた懺悔に 聖なる辞世にかけて 私が砂の中に書き付けた辞世にかけて 三人で この大いなる罪を犯せし女どもを 御身のお側に寄ることも拒まれず、 償いのための功徳を 永遠に高めたもう 永遠に どうぞ かの善良な魂にも恵みください たった一度われを忘れ 自らの過ちにも気付かなかったかの魂に 御身の適切なお赦しを! どうぞこの善良な魂にも恵みください 御身の適切なお赦しを! |
この「御身、触れることのあたわざるお方であっても」と歌う合唱部分、罪を背負った女たちでも聖母のもとに行けるのだ、と解説をしているところは、ゲーテの原作では前のテノールのソロと同じマリア崇拝の博士の台詞になっています。聖母様のことなら何でも知っている博士ならではの名解説ですね。このあたりはこの合唱だけでなく、歌詞にゲーテの原作からの改変が少しあるところです。
この同情の心に満ちた歌のあとに、グレートヒェンの生まれ変わりを筆頭とする贖罪の女たちの合唱が始まります。ゲーテの原作ではここは「贖罪の女たちの合唱」とだけありますので、ここでグレートヒェンも歌わせているのはマーラーのアイディアでしょう。合唱の中から清楚なソプラノの歌声が浮かび上がってくるところは絶妙の効果を上げています。
この合唱をうけて、聖書で有名な3人の罪を背負った女たちが順番に歌います。最初のMAGNA PECCATRIX(罪深き女 ソプラノ)は「ルカによる福音書」第7章37-38節に登場します。
http://www.cozoh.org/denmo/Luke.htmより引用させて頂きますと
「7:36 ファリサイ人たちのうちのある者が,一緒に食事をするよう彼を招いた。彼はそのファリサイ人の家に入り,食卓に着いた。 7:37 見よ,罪人である一人の女がその町にいたが,彼がファリサイ人の家で横になっていると知ると,香油の入った雪花石こうのつぼを持って来た。 7:38 泣きながら後ろから彼の足もとに進み寄り,自分の涙で彼の両足をぬらし始め,自分の髪でそれらをぬぐい,その両足に口づけし,それらに香油を塗った。 7:39 彼を招待したファリサイ人はこれを見て,自分の中で言った,「この人がもし預言者なら,自分に触っているこの者がだれで,どんな女なのか分かるはずだ。罪人だということを」。
これにイエスがどう答えたのかはこのサイトにてご確認ください。
この「罪人の女」、マグダラのマリアと同一だという説もあるようです。
続いてのMULIER SAMARITANA(サマリアの女 メゾ又はアルト)、ヨハネによる福音書の第4章に登場します。
こちらは長いので引用は避けますが、サマリアの泉のそばで、イエスが飲み水を乞うたひとりのサマリア人の女と行った会話のシーンからなっています。この女性が罪人とされているのは、過去に5人も夫がいて、その時一緒に暮らしていたのはその5人とは別の結婚していない男であったということのようで、現代の目からは少々厳しすぎるかな、という感じもします。彼女の歌の中に歌われるのはこの父祖代々使われてきた泉と、そこで使われた水瓶のことですね。
最後のMARIA AEGYPTIACA(エジプトのマリア メゾ又はアルト)はActa Sanctorum(聖人伝)中に記されている5世紀の聖人、エジプトに生まれ、アレクサンドリアで12歳のときから17年間淫蕩に溺れる生活をしてきましたが、9月の十字架挙栄祭の日に、十字架を見物しようとして聖堂に入ろうとしたところを見えない力に押し返されるという啓示を受けて罪を悔い(歌の中で「門の前で、警告しつつ引き戻した御腕」とあるところです)、それから47年間、ヨルダン川の向こう岸の荒野で贖罪の修業生活を続けたのだそうです。死の前に修道士ゾシマと出合い、身の上を語るとともに数々の預言・奇跡をおこない、そして死の際には読み書きができないはずにも関わらず砂の上に辞世を書いていたのが見つかった、とあります(以上日本語のwikiを参照しました)。
この3人がひとりずつ歌ったあと、輪唱でこの新たに加わった贖罪の女(かつてグレートヒェンと呼ばれた)の赦しを聖母に願います。ファウストを愛し、そして宿してしまった不義の子を自ら殺してしまうという過ちを犯した彼女を。
( 2011.12.30 藤井宏行 )