Magtanim ay di biro |
田植はラクじゃない |
Magtanim ay di biro Maghapong nakayuko Di naman makatayo Di naman makaupo Bisig ko’y namamanhid Baywang ko’y nangangawit. Binti ko’y namimintig Sa pagkababad sa tubig. Kay-pagkasawing-palad Ng inianak sa hirap, Ang bisig kung di iunat, Di kumita ng pilak. Sa umagang pagkagising Lahat ay iisipin Kung saan may patanim May masarap na pagkain. Halina,halina,mga kaliyag, Tayo’y magsipag-unat-unat. Magpanibago tayo ng lakas Para sa araw ng bukas Braso ko’y namamanhid Baywang ko’y nangangawit. Binti ko’y namimintig Sa pagkababad sa tubig. |
田植えは冗談ではすまない 一日腰をかがめ 立ちあがることもできず しゃがむこともできない 腕はしびれて 腰はくたくた 脚はしびれてくる 水の中で なんて不幸なことだ 貧乏のもとに生まれるとは 手をしっかりと動かさなけりゃ 稼ぐことができぬ 朝早く目覚めて 知恵を絞って どこで田植えしてるのかを考える 旨いメシを食わせてくれるところを さあさあ みんな 手足伸ばして休もうじゃないか 元気を取り戻そう 明日のために 腕はしびれて 腰はくたくた 脚はしびれてくる 水の中で |
陽気なフィリピンの民謡として日本でも良く知られているメロディですが、タガログ語の原詩を見てみるとけっこうシビアな歌でした。楽しげなリズムと歌声からは想像もつきませんが、この歌、田植えのつらさ、貧乏の苦しさを歌っているのですね。もっともしたたかに生きようぜ、っていうようなメッセージもあって一筋縄ではいかないところもあるのですが。
日本でも田植え歌が民謡としていくつもあり、こんな感じで田植えのつらさをぐちっていたりもしますので、そのあたりは相通じるものはあるのでしょう。日本の田植え歌に比べるとテンポが速くて、これに合わせて田植え作業をするとけっこう速く田植えができそうだな、などと馬鹿なことも考えてしまいました。
( 2011.06.11 藤井宏行 )