晩餐 智恵子抄 |
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暴風(しけ)をくらつた土砂ぶりの中を ぬれ鼠になつて 買つた米が一升 二十四銭五厘だ くさやの干ものを五枚 澤庵(たくあん)を一本 生姜の赤漬 玉子は鳥屋(とや)から 海苔は鋼鐵をうちのべたやうな奴 薩摩あげ かつをの鹽辛 湯をたぎらして 餓鬼道のやうに喰(くら)ふ我等の晩餐 ふきつのる嵐は 瓦にぶつけて 家鳴(やなり)震動のけたたましく われらの食慾は頑健にすすみ ものを喰らひて己(おの)が血となす本能の力に迫られ やがて飽滿の恍惚に入れば われら静かに手を取つて 心にかぎりなき喜を叫び かつ祈る 日常の瑣事(さじ)にいのちあれ 生活のくまぐまに緻密(ちみつ)なる光彩あれ われらのすべてに溢れこぼるるものあれ われらつねにみちよ われらの晩餐は 嵐よりも烈しい力を帯び われらの食後の倦怠は 不思議な肉慾をめざましめて 豪雨の中に燃えあがる われらの五體を讃嘆せしめる まづしいわれらの晩餐はこれだ |
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歌曲集第2曲目はだいぶ飛んで大正3年(1915)の4月、もうふたりが結婚をしたあとの日常の風景です。光太郎の詩集では15番目の詩で、それまでにある愛の詩を清水はばっさりと切り捨ててしまいました。詩は生々しい食べ物の羅列が続き、とても歌にはしにくいところですが、語りのように見事に処理されていて聴いていての違和感はありません。
そしてまた食べる描写や食後の仲睦まじい様子も「餓鬼道のやうに喰ふ我等の晩餐」であるとか「ものを喰らひて己が血となす本能の力に迫られ」、あるいは「われらの食後の倦怠は 不思議な肉慾をめざましめて」といった具合に嵐の中での新婚所帯、下手なエロ小説が及びもつかないような艶めかしい描写に満ち溢れています。
( 2011.02.13 藤井宏行 )