源氏物語による3つのアリア |
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1 藤壺 世がたりに人やったへんたぐひなくうき身をさめぬ夢になしても (若紫) 2 紫 わかれてもかげだにとまる物ならば鏡を見てもなぐさめてまし (須磨) 3 明石 なほざりに頼めおくめる一言をつきせぬ音にやかけて忍ばむ (明石) |
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日本が生んだ20世紀の大作曲家のひとり松平頼則の晩年の作品です。
現代音楽に詳しい方に言わせるとシェーンベルクやストラビンスキーに並ぶ(あるいは超える)大物だということですが、悲しいかな前衛の世界で仕事をされたために、日本の普通のクラシック音楽ファンにはほとんど名前を知られることなくこの世を去ってしまいました。
彼の音楽の特徴は、雅楽のスタイルから着想を得て、そこから現代音楽の重要な方法論のひとつ、ミュージックセリーの手法を発展させたことにあります。
(セリーとは、シェーンベルクの12音技法が音の高さだけをシステマティックに扱っているのに対し、音の長さや強さなど音楽のあらゆる要素をもシステム化したものだそうです)
その辺りの理論に疎い(聴いても良く分からない)素人の耳で聴いてみた時、この曲から受ける印象は日本の伝統芸能のひとつ、能の舞台を見ているような息が止まる悠久の時間感覚にあります。
この源氏物語による3つのアリアは1990年の作、わずか31文字の和歌をテキストにしているにも関わらず、前奏・後奏も加えて各曲がそれぞれ15分を軽く超えるというすさまじいもので、当然のことながら歌詞も全く何を言っているのか私には聞き取れないのですが、笙・笛・箏という和楽器の力もあって非常に幽玄な味わいです。
(そういえば能の中で使われる謡曲もゆっくりしていて何を歌っているのか聞き取れませんね)
ライナーによれば邦楽器を彼が使うのはこれが初めてだったとのことですが、あまりにハマっていて全く違和感はありません。
3曲とも前奏は3つの邦楽器が絡み合いながら活躍するのですが、1曲目の藤壺は藤壺女御の幻影を表すために笙が、2曲目の紫では笛の名手光源氏の追慕を表すために笛が、そして3曲目では箏が歌に絡み合って進行します。
録音はALMレコード(コジマ録音)に、彼の晩年の作品のインスピレーションを与えたと言われ、この作品も捧げたソプラノの奈良ゆみのソロに、伴奏として宮田まゆみの笙、小泉浩のフルート、福永千恵子の箏という豪華メンバーで入れられたものがあります。
平安の王朝絵巻というよりは、上で例えたように能の幽玄の世界を感じさせる作品ですが、静かな気迫は凄いものがあります。
( 2003.06.28 藤井宏行 )